自宅介護をしていると言うと人は「親孝行ですね」と言うけど、いやいやいや、とんでもない。コロナ禍でなかったら、死ぬまで病院にお預けしていたわよ。そして行きたいときに気ままに病院に行って、「バアさん、ばいば~い」と言って永遠の別れをしたと思う。そういうシステムに疑問を持ったことないもの。
だけどコロナ禍が理由で、いま生きているのに“死ぬまで会えないこと確定”っていうのは受け入れられなかった。「見殺し」ならまだ「見」が入っているからいいけど、「黙死」や「黙殺」はキツイよ。
でも悪いことばかりじゃない。要介護認定5の母親は、毎日、訪問看護かヘルパーさんがやって来て、プロの仕事ぶりを見せてくれて、介護にまつわるさまざまなことを私に教えてくれる。そのたびに、「お金だけじゃできないな」と思うんだよね。仕事なのに収入だけではない何かとは、たとえば人間愛とか。
それやこれや、いま私が体験していることを、「コロナ禍のおかげ」と口が裂けても言いたくないけど、コロナ禍でなかったら、絶対にしなかったことは確かね。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2021年9月2日号