金銭に淡泊、かつ困難から逃げない気性のせいで、支払う義務のない元夫の会社の数千万円の借金も、書いて書いて、完済した。
「だって、借りておいて返さないっていうのは悪いに決まってるじゃないですか。単純なんですよ、私は。
だからいま住んでいるこの家も、四番抵当にまで入っていて。母と夫とでお金を出し合って建てた家だったので、母は怒りますわね。私が肩代わりして抵当を抜いてそのまま住めることにはなったんですが、母がつくづく、『お前といると、どんなことになるかわからない』と嘆いたの」
さらに母を嘆かせたのは、佐藤さんがこの後、株に手を出したことだった。
「ようやく借金を返し終えた頃にね、北杜夫が電話をかけてきて、『これこれの会社の株を買え』と言うんです。北さんは、新幹線で隣り合った国会議員かなんだかに『この会社の株を買ったらものすごく儲かる』と言われたんですって。何千万かの借金を払って金銭感覚がおかしくなっていたので、面白半分でたくさん買ったら、みるみる暴落して。
北さんに、『えらい下がってきたね』って電話したら、『そうなんだよ、ああいう国会議員がいるから日本の政治はだめなんだ』とか言ってごまかされちゃった。それからも、北さんと一緒になって株を売り買いして、1億ぐらい損して、それでさすがにやめましたけど、北杜夫に1億損させられたとは思わない。だいたい私は数学が低能ですから」
人間の面白さに触れることによって悲劇とも思わずに
1億損しても、同人雑誌時代からの北杜夫との友情は、まったくゆるがなかったそうだ。生活人としてのマイナスも、作家としてはプラスに転じるようである。
「たいして才能がないにもかかわらず作家になれたのは、私の人生にあまりにもいろんなことが起きたためで、これは神様のお恵みだと思っています。会社の倒産騒ぎがあったから『戦いすんで日が暮れて』が書けたわけでね。あれがなかったら、作家になれていたかどうか、わからないですよ」
一難去ってまた一難、借金を払い終えて北海道に別荘を建てれば今度は超常現象が起きて──「禍福は糾える縄の如し」という言葉のままの人生だ。出世作の『戦いすんで日が暮れて』にしても、本来は、時間をかけて大長編にしようと思っていた題材を、小説誌の依頼で急遽、短篇に書いたものだった。