「大学在学中にクラリオンガールとなった蓮舫さんはタレント活動を始めたばかりでしたが、物おじせず、メインの飯星さんよりも口数が多かった(笑)。一方の高市さんは米連邦議会研究員だったという肩書をひっさげ帰国したばかり。パンク風のヘアスタイルで登場したり、ゲストに関西弁で突っ込みを入れるなど独特なキャラでしたが、司会者としては蓮舫さんに食われていた印象がありますね」(前出・放送作家)
キャンギャルと米国帰りの才女。6歳ほど年の離れた2人は、番組外ではほとんど会話を交わすこともなかったという。当時の番組関係者が明かす。
「蓮舫さんは飯星さんを“姉貴分”として慕っていましたが、高市さんとはほとんど口をきいていなかったんじゃないか。特段、仲が悪いというわけではないけど、ソリが合わないのは明白でした。高市さんの発言中に、蓮舫さんが話をかぶせて自分のペースにしてしまう場面もあった。高市さんがしらけた表情をしていたのを覚えています」
その後、蓮舫氏は報道・情報番組のキャスターに。高市氏は大学教員などを経て1992年、地元、奈良県選挙区から無所属で参院選に出馬した(結果は落選、翌1993年の衆院選で定数5の奈良県全県区でトップ当選)。
当時、高市氏は雑誌の取材に「1等賞になれないのがわかってることに一生かけるのはバカバカしい」と語っていた。学生時代に志した「ロックバンドデビュー」を諦めた理由を問われての答えだが、「2等ではなく、1等でなければダメ」とは、当時から蓮舫氏と相いれない信念の持ち主であったことが窺える。
2009年の民主党政権誕生直後の「事業仕分け」で、蓮舫氏は農水省、文科省、防衛省担当の事業仕分け人となり、当時のスパコン「京」について「2位じゃダメなんでしょうか」と発言。大きな波紋を広げた。高市氏はこの発言に「2番じゃダメなんですか、こういうご発言に対しても、何かおかしいと思っていた」(2010年11月の衆院予算委員会)と苦言を呈している。
蓮舫氏も黙ってはいない。直接対決の場となった昨年6月の参院予算委員会では、マイナンバーカードのシステムトラブルを巡り、蓮舫氏が当時、総務相だった高市氏に詰め寄る場面があった。