1974年に長嶋茂雄が、1980年に王貞治が引退。それでも、プロ野球人気は落ちなかった。巨人には1981年に原辰徳が入団し、世代交代が進んでも“球界の盟主”のスターはメディアに対して紳士的に振る舞った。1993年に長嶋監督がくじで引き当てた松井秀喜も、ミスター同様、模範的な対応を見せた。
“天然ボケ型”と“ツッコミ型”
一方で、1980年代以降は不勉強な記者に辛辣に当たる“求道者”たちもいた。
「落合博満やイチローは本来よく喋るし、的確な質問をすれば饒舌に説明してくれる。一方で、ありきたりでつまらない問いに対しては、ちゃんと突っ込む。マスコミにも仕事に対して誠実な態度を求めた。当然のことですし、それも1つの個性でした。ただ、人気を上げていかなければならないプロ野球黎明期であれば、そうはいかなかったかもしれません」
2000年代に入ると、巨人戦の視聴率が低下。毎試合放送されていた地上波のナイター中継は年間数試合しかなくなった。その代わり、BSやCSで全球団の試合が毎日見られるようになり、巨人一辺倒の時代からファンが分散したと言われている。一方で、野球人口は年々減少しており、かつて30%を超えた日本シリーズの視聴率も1ケタに落ち込むようになり、地上波のスポーツニュースが野球に割く時間も減少した。
そんな中、日本ハムの監督に新庄ビッグボスが就任。野球に興味のない人たちにも訴えるアピール力は球界にとって朗報だろう。
「もちろん“求道者”タイプも必要ですが、今の球界にはファン以外をも惹きつける“長嶋タイプ”が求められていた。いわば、“全方位型”であり、“ピエロ型”とも言えるかもしれません。1990年代の長嶋監督はまさにそんな感じでした。オフに、ゴールデン帯の2時間特番で『長嶋茂雄超偉人伝説』が放送され、『息子の一茂を後楽園球場に忘れてきた』などの天然エピソードばかり紹介されて20%近い視聴率を取ったこともあった。
新庄ビッグボスも、自分をネタにされることを嫌がらないタイプです。ボケとツッコミで言えば、長嶋・新庄は記者にボケを提供する。もちろんある程度は狙いもあるのでしょうが、それを見せない“天然ボケ型”。落合・イチローは記者に指摘を入れる“ツッコミ型”。そう分けられるかもしれません」