それを聞いた英敏さんは、「プロ野球選手にさせようとレールを敷いてきたが、何をやるにしても最後は剛志の気持ちを尊重してきたつもりです。親に押し付けられてやるのではなく、自分が決めたことは責任感が生まれる」と応じた。文子さんもそれを聞いて、「好きにやればいい。なんでも親のいうことを聞く子供なんて気持ち悪いと思いませんか」と笑っていた。
困ったことがあれば助け合うが、余計な口出しはしない―プロの世界に入ってからの新庄親子は、そんな関係だった。
引退した2006年オフには、英敏さんは「あいつは全く連絡もよこさんのよ」と苦笑いしていた。
「引退後、何をやるのかもわからん状態で、知人や地元の元後援会のメンバーから聞かれても、答えられなくて困っている」と話す英敏さんの横で、文子さんも「すべて本人任せ。メジャーに行く時もマスコミで知ったくらいだしね」と振り返っていた。
息子のことはニュースで知る
2001年に米国で9.11テロが起きた時、新庄氏はNYメッツ所属だったが、文子さんは当時も、息子の無事をニュースで知ったと明かしていた。「うちは剛志のことはニュースで知ることが多いので……」と、無事に安堵しながらも苦笑するのだった。
文子さんは、再び“球界の寵児”となった新庄氏をどう見ているのか。改めて福岡を訪ねると、新庄氏からの監督就任の連絡について、文子さんは「ええ、早くにありましたよ」と応じた。
いまの新庄氏についての思いを尋ねると、「うちはお父さんが(広報)担当だったんですよね。あまり話をすると息子が嫌がるので」と辞去した。ドアを開けて応対する母・文子さんは細身の体型も含めて、改めて新庄氏とそっくりだった。
最後に、監督就任は英敏さんも喜んでいるのではと問いかけると、「そりゃ喜んでいると思いますよ」と嬉しそうに笑った。
2月のキャンプインが目前に迫る。天国の父と、福岡の母の期待に応える活躍となるだろうか。
※週刊ポスト2022年2月4日号