2005年に初出馬した衆院選で記者会見する稲田氏(時事通信フォト)
──あれは、何の涙だったのでしょうか。
「あの時、野党から私が海外視察を入れたのが原因で、8月15日の全国戦没者追悼式典を欠席したことを問われたんですよ」
──民進党(当時)の辻元清美さんはこう質問しています。「あなたは“自国のために命を捧げた方に感謝の心を表わすことのできない国家であっては、国防は成り立ちません”と言っていたのに、言行不一致ではないか」。稲田さんは保守らしくないと指摘された。
「本当にその通りで、英霊に申し訳ないと思いました。その涙だったんですけど、辻元さんに猛烈に批判されて泣いたっていう構図にされてしまった。そうじゃない」
──辻元さんを恨んでない?
「全然恨んでない。『あんたの言っていること、正しいわ』って言いたい」
──最近、男でも人前で涙した、小泉進次郎という人気政治家がいました。
「あぁ~(笑)。あれは何の涙だったんでしょうね」
──あの小泉さんを自民党の農林部会長に抜擢したのは、稲田政調会長だったんですよね。
「うん、直感で思い立って頼んだんだった」
──当時、彼は当選3回。土の香りがしない都会の世襲代議士に、どうして農政を任せたのですか。
「ひとつは私が政調会長になる前、規制改革担当大臣の時に農協改革を進めて、稲田朋美は全国の農家からのお尋ね者になったんです。その経験から、守旧派を部会長にしたら改革はできないとわかっていたので、手垢のついていない小泉さんを選んだ。それに、当時から彼は我が党の将来を担っていく希望の星みたいなところがあったじゃないですか。そういう人を農林部会長にすると『自民党は日本の農業を大切にしている』というメッセージになると思いました。でも、進次郎さんには最初断われたんですよ。その日の夕方になって『やっぱり引き受けます』って」
──あれによって農政のイメージはガラリと変わった。農林部会には、小泉さんのほか、福田達夫さんを部会長代理に起用しました。その福田さんは今や党三役。出世株を発掘する「人事の稲田」と呼ばれませんか?
「ハハハ。でも、私、防衛相を辞めたりして失敗しているから」