なぜ文氏は、これほどまでに抵抗する姿勢を示すのか。元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏はこう分析する。
「実は文大統領も、大統領選のときに青瓦台から光化門への移転を公約にしていたが、警備上の問題で反対されて諦めた。だから、尹氏としては、自分には実行力があると国民にアピールする材料にしたいのです。大統領に就任してから移転を始めれば揉めずにすむのですが、韓国では6月1日から統一地方選挙(自治体の首長や議員などの選挙)が始まるので、その前にポイントを稼いでおきたい。だから、文氏も抵抗しているのです」
対立の背景には選挙があるという。現在、韓国の国会は議員定数300の内、現与党の「共に民主党」が過半数を超える172議席を有している。韓国の国会議員の任期は4年で、前回選挙は2020年4月に実施されたので、少なくとも2024年まで野党優位の状態が続く。
政権交代で与党となる「国民の力」は議会で少数のため、(国会の同意が必要な)ナンバー2の「国務総理」選びからして、尹氏や次期与党の“意のまま”というわけにはいかない。尹氏が掲げた公約にしても、たとえば「女性家族部の廃止」など法改正が必要な政策は、国会の議決を経なければ実現できない。
これで6月の統一地方選まで敗北すれば、尹氏は政権発足早々、内政で“四面楚歌”状態となる。だからこそ、尹氏は執務室移転でポイントを稼ぎたいし、文氏は是が非でも阻止したいというわけだ。
「そもそも執務室を移転させることに、ほとんど意味はありません。青瓦台を出て国民の中に入っていくというんですが、韓国の大統領は、普段から青瓦台に籠もってほとんど顔を見せず、記者会見も年に数回しかしないし、記者からの質問に直接答えることもない。日本の首相のように新聞に動静が載ることもありません。
記者に問い詰められたりする姿を見せると、大統領の権威が失われると考えているからです。移転はイメージ戦略に過ぎず、そうした姿勢を変えないと、本当の意味で国民の中に入っていくことにならないでしょう」(前川氏)
もちろん、そこまで考えて執務室の移転を進めるのであれば、尹氏は新しい韓国大統領の姿を見せられるかもしれない。
◆取材・文/清水典之(フリーライター)