宮内庁長官が報道を否定した理由とは…(写真/宮内庁提供)
かつて上皇ご夫妻と両陛下の間には埋めがたい断絶があったといわれていた。
「結婚当初、帰国子女でキャリアウーマンだった雅子さまが、皇室の神事や伝統的な習わしをうまく受け入れることができなかったことが遠因にあるといわれています。その後、愛子さまが誕生されるも、雅子さまが2003年の末に帯状疱疹で入院され、長い療養生活に入られました。当時、上皇ご夫妻と両陛下が連絡を取り合われることもほとんどなかったといいます」(前出・皇室ジャーナリスト)
だが、職員を通して、美智子さまがそれとなく雅子さまのご様子をお尋ねになることは頻繁にあったという。
歴史上、民間出身で「日本の皇太子妃」という重圧に晒されたことがあるのは、美智子さまと雅子さまのたったおふたりしかいらっしゃらない。同様に「皇后」というお立場の難しさを身をもって経験したことがあるのも、美智子さまと雅子さましかいない。
「美智子さまも、皇室入りした直後はさまざまな困難に直面されました。初の“民間出身の皇太子妃”であったばかりに、宮中には美智子さまを快く思わない人たちも少なくなく、精神的な疲労から体重が大幅に落ちてしまわれた」(前出・皇室記者)
1993年には、苛烈な皇室バッシングに晒され、一時的に声が出なくなる「失声症」の症状が出たこともあった。
「天皇陛下を最も近くで支えることの責任の重さ、皇室全体への目配りの難しさなど、すべて美智子さまは経験されてきました。だからこそ、先達として“雅子さまを守り通す”というお気持ちをお持ちなのでしょう。そのためには、“お怒りの沸点”を低くしてでも、雅子さまの耳に入る雑音を取り除かれたかった。今回、西村長官が報道に改めて示した強い態度は、そうした美智子さまの姿勢が反映されたものだったのでしょう」(前出・皇室記者)
雅子さまが、ご自分らしさを発揮されながら、活躍できるように──美智子さまのお気持ちは、変わることはない。
※女性セブン2022年5月5日号