水島
一二月に入ると小沢と武村の対立は深刻化した。武村は村山と歩調を合わせて政治改革より予算編成を優先すべきだと主張、政治改革やコメ市場の部分開放問題でも半ば公然と自民党幹部と接触していた。
小沢と近い市川雄一や米沢からは「更迭論」が出され、小沢自身も田中角栄・元首相が死去した一六日夜に、「武村を切れ」と首相公邸に怒鳴り込んだという噂が流れていた。
小沢は二〇日の政府与党首脳会議から全ての会議を欠席した。記者会見で小沢不在の理由を聞かれた武村が「検査入院ではないか」と言ったことで重病説まで流れた。
小沢とメディアの対立もエスカレートしていた。記者会見問題がこじれ、小沢は一切の取材に応じなくなっていた。しかも公の場に姿を見せない。連立政権の最大の危機に、私は小沢の様子が気になっていた。
衆議院の第一議員会館地下二階に、小沢行き付けの理髪室「水島」がある。小沢が散髪に行くタイミングは大体分かっていた。水島に電話して予約が入っているかどうか確かめる。頃合いを見て捕まえる。小沢の機嫌が良ければ話ができる。悪ければ無駄足になる。それだけのことだ。
二一日、水島に電話を入れると私たちが「水島のママ」と呼んでいるオーナーが「先生? 今いるわよ」と教えてくれた。
会館地下二階まで降りて水島に入るとSPがいた。あまり話したことはないがお互い顔は知っている。「先生ご機嫌はどう?」と聞いてみたが、SPは黙って指でバツを作った。奥から「ああさっぱりした。ありがとう」と言う小沢の声が聞こえた。
一目見ただけで、これまでで最悪かもしれないと思うほど、機嫌が悪いことが分かった。私をじろりと睨みつけて無言で歩き出す。私も黙って後を付いていった。
エレベーターに乗っても無言、六階で降りて部屋に行くまでも無言。こういう時は「帰れ」と言われるまでは付いていく。機嫌が悪いからとあきらめていては、小沢から話は聞けない。
事務室奥の応接室まで黙って付いていき、小沢がソファに座ったので、私も向かい側に座った。相変わらず怒った大魔神のように怖い顔をしている。しばらく睨みあっていたが、小沢のほうから口を開いた。
「だから、俺は今マスコミとは口をきかないんだ。君も知っているだろう」
「まあ、あれですね。生存確認。先生が生きているかどうか確かめないと」