「挙式からわずか8か月後にAさんの浮気が発覚し、マリアンさんは新居を飛び出しました。この離婚騒動はAさんが謝罪して事なきを得たようです」(芸能関係者)
スタートから波乱含みだった結婚生活だが、1990年に長女が生まれると夫婦は関係を持ち直した。その矢先、大事件が起きる。1991年5月、都内の自宅マンションの駐車場で、A氏の母親が運転する車がマリアンの実母をはねたのだ。
「連れだって昼食に行こうとした際、Aさんの母親が誤ってアクセルを踏み込んでしまい、はねられたマリアンさんの母親が即死する痛ましい事故でした。当時、マリアンさんは夫とヨーロッパに旅行中で、失意の帰国となりました。マリアンさんとお母さんは一卵性母子と呼ばれるほど仲がよかっただけに、彼女が負った心の傷は計り知れませんでした」(前出・芸能関係者)
傷心のマリアンを癒したのは子供たちだった。1992年に長男、1995年に次女が生まれ、彼女は心の平穏を取り戻していったかのように見えた。
慰謝料5億円、泥沼の離婚劇
結婚生活は華やかだった。
「Aさんは国内に複数の不動産を持ち、ハワイにも高級コンドミニアムを所有する資産家で、結婚後のマリアンさんは何不自由のない暮らしをしていました。結婚7周年では3000万円近くする7カラットのダイヤをプレゼントされ、手放しで喜んでいました」(前出・マリアンの知人)
義父母の孫への愛情も、浮世離れしていた。マリアンは『週刊ポスト』(1999年6月4日号)のインタビューでこう語っている。
《子供たちが誕生日を迎えるたびに1歳なら100万円、2歳で200万円、3歳で300万円……ってずっとあっちの親がくれてたのよ。お小遣いは現金で100万円とかくれたり、新しい子供が生まれるとポーンと1000万円も(子供に)あげちゃったり》
だがマリアンは、夫の家族との交流に内心では大きな不満を抱いていたようだ。
「マリアンさんは義母に生活面で口出しされることが多かったようです。嫁姑の関係は、日を追うごとにギクシャクしていきました。最愛のお母さんの死亡事故もあり、わだかまりが残ったままのようでした」(前出・マリアンの知人)
運命を感じた夫の悪い癖も、日を追うごとにマリアンの目につくようになっていく。
「マリアンさんは“子供が生まれても旦那の浮気癖が直らない”と周囲に漏らしていました。末っ子の次女を妊娠したときには性病に感染していたことがわかり、“身に覚えがない。旦那にうつされたとしか考えられない”と憤っていたのを覚えています」(前出・マリアンの知人)