化粧品のキャンペーンソングでコラボレーションした忌野清志郎さんと坂本(1982年=共同通信社)
「A子さんとの出会いは1987年。彼女は舞台美術を手がけるアーティストで、坂本さんがツアーコンサートの美術担当に抜擢したことがきっかけでした。1990年には2人の間に子供ができましたが、矢野さんは2人の交際を認めつつも、離婚はしなかった。
矢野さんと別居したのは1992年、正式離婚は2006年ですが、その間もA子さんとの関係はずっと続いていました。2014年のがん判明からこれまで坂本さんの闘病を支えてきたのはA子さんです」(芸能記者)
もし未婚のまま自分が死ねば、遺産の相続などさまざまな問題が発生しかねない。そのため坂本は、近々A子さんとの入籍を考えているという。A子さんとも子供たちとも、少しでも長くいたい。曲作りのためにも、1分でも長く生きたい。だが葛藤もある。
医療の発達により人間の寿命は画期的に延びた。日本では「人生100年時代」と当たり前のようにいわれるようになったが、人類の長い歴史からみれば、ごく最近のことにすぎない。
「坂本さんはつらい治療を行ってまで、無理して命を延ばす必要があるのか。自然に任せて、最小限のケアだけで最期を迎えることが人間の生き方なのではないかという考えも持っています。その一方で、自分は外科手術や化学療法など、あらゆる手段を尽くしてきた。現実を受け入れて達観しているとはいえ、死に方に関する考え方の矛盾に悩むこともあるようです」(前出・坂本の知人)
がんと闘うのではなく、がんとともに生きる──覚悟の中で坂本はどんな音楽を紡ぐのだろうか。
※女性セブン2022年6月30日号
『戦場のメリークリスマス』の製作発表記者会見で話す坂本。大島監督(中)とビートたけし(右)(1982年=共同通信社)
1982年に坂本と結婚、2006年に離婚した矢野