闘病中はテレビを見たり、たわいない冗談を言ったり穏やかな日々でした。それでも日に日に病状が悪化して体重が激減し、痛み止めのせいで意識が朦朧としている姿を見るのはつらいものです。
「家で死にたい」というひさしさんの希望を叶えるため、4月9日の朝、先生方の協力も得て救急車で自宅に帰りました。私が「帰るよ」と伝えると「うん」と答え、手を握れば握り返したりしてくれました。
道中、少しずつ意識が遠のき、家に着いた頃には、果たして帰ったとわかったのかどうか。夕方を過ぎてからは呼吸が浅くなっていき、夜10時頃息が止まりました。
当初は、「いい作品も書けたし、思い残したことはない」と言っていましたが、治療が始まってからは、やはり「まだ書きたい。沖縄も長崎も芝居にしたい」「子供の頃のこと。両親のこと。きちっと書き残したい」と口にし、読む体力はなかったのに、枕元に資料を置いていました。
最後の最後まで、ひさしさんは作家でした。
※週刊ポスト2022年7月29日号