和やかな雰囲気が消えていった
そもそも、相棒の構想段階で中心に据えられていたのは、寺脇だったという。
「相手役として名前が挙がったのが水谷さんでした。水谷さんの出演ドラマを見たことをきっかけに、寺脇さんが役者の道を目指したのは有名な話。1991年にドラマ『刑事貴族2』(日本テレビ系)で初共演した際には、緊張しすぎて普段通りに挨拶もできなかったといいます」(芸能関係者)
『相棒』の顔合わせから話が弾み、2人だけで食事に行くまでに、時間はかからなかった。
「水谷さんのキャスティングが固まると、キャリアを考慮してダブル主演という形に落ち着きました。単独主演ではなくなりましたが、尊敬する水谷さんと共演できることに、寺脇さんの喜びもひとしおだったといいます」(前出・芸能関係者)
冷静沈着と熱血漢。好対照なでこぼこコンビはお茶の間の人気を集め、相棒人気は一気に上がっていく。
「寺脇さんはそのことを自覚していて、ドラマの役柄同様にテンションを上げて、ガンガンぶつかっていくスタイルで演技に向き合っていました」(前出・芸能関係者)
リハーサル前から共演者やスタッフと念入りに打ち合わせすることも頻繁だった。台本には演技についての意見や寺脇が想像した亀山の気持ちが書きこまれており、せりふの文字よりも多いほどだった。
だが、寺脇が『相棒』に没頭するにつれ、皮肉にも水谷との距離は離れていった。寺脇には、『相棒』を人気シリーズにした自負があり、撮影現場で水谷やスタッフに意見することが増えたという。
「その頃の寺脇さんは絶頂期でした。ドラマや映画で与えられた役を演じるだけでなく、1994年から同じ事務所の岸谷五朗さんと演劇ユニット『地球ゴージャス』を結成し、数々のプロデュース公演を成功させていました。さらに情報バラエティー番組『王様のブランチ』(TBS系)の総合司会を1996年から10年間も務めるなど、多方面で活躍。脂が乗り切っていた時期でした。だからか『相棒』でも、水谷さんの考える演出プランに対し、違う演出法を提案することもあった。
しかし、シリーズが進むにつれ『相棒』は、右京さんのキャラクターが前面に出るようになっていた。現場では水谷さんの意見が通ることが多く、次第に寺脇さんとスタッフの関係がギクシャクしていったようなんです」(別の芸能関係者)
シリーズ終盤には、撮影現場での2人の関係も以前のように和やかな雰囲気が消えていったという。
「その頃の寺脇さんは、飲みに行くたびに“結局、水谷さんには気持ちが届かなかった”“彼とは空気が違う”と愚痴るようになっていた。しまいには“このままだと水谷さんを嫌いになる”とまで言い出し、2人の間に確執や衝突があったと言う人まで出てきました」(前出・別の芸能関係者)