その日の夜、わたしは鍛治舎監督にメールを送った。監督は2017年夏に不整脈を発症し、心臓に大きな不安を抱えているのだ。返信はすぐにあった。
《甲子園帯同メンバー35人のうち、登録メンバー18人中4人、メンバー外3人の体調不良が判明しました。メンバーには『君たちがグラウンドに帰ってくるまで頑張るから早く治すように!!』と伝えました。ただし、大会本部からメンバーの入れ替えも大会参加も不可との判断が出れば、粛々と従います。気持ちはたとえ14人でも戦う覚悟です》
日本高等学校野球連盟は、地方大会を勝ち上がった学校に、大会期間中に滞在する宿舎に入る前のPCR検査を義務づけていた。県岐商は、岐阜大会後の検査では陽性者は1人もいなかった。甲子園入りしてから罹患・発症し、感染が広がったことになる。
「エースの井上(悠)は、当初、咳だけだったんです。ところが39℃の熱が出てしまった。初戦前に快方に向かい《真夜中に、誰にも会わないところでランニングします》とLINEがありました」(鍛治舎監督)
井上に次ぐ二番手の小西彩翔は、無症状なのに陽性判定を受けた。彼もまた鍛治舎監督にメッセージを送った。
《いつでもいける準備はしていますから、残されたメンバーで勝って欲しい。テレビの前で一生懸命応援しています》
鍛治舎監督はその文面を全部員と共有した。
球児にケガはつきものだ。そのため、大事な試合に出場できないといったことは、少なからずある。そうした場合、ケガをした選手はチームのサポートにまわる。一方、陽性判定を受けた選手は、サポートのためにチームメートと接触することすらできないのだ。ここにも、コロナに翻弄された球児たちの苦しみが浮かび上がる。
(第2回へ)
●柳川悠二(ノンフィクションライター)
※女性セブン2022年9月1日号