「僕の勘違いが始まった」
こうしてプロへの第一歩を踏み出した蟬川。ゴルフ界では親子二人三脚でプロを目指す“親子鷹”が多い。佳明氏もハンディキャップ5のシングルプレイヤーだが、どのように指導したのか。
「指導なんてとんでもない。グリップも左右逆のまま放っておいたし、何も教えていませんよ。その頃は自分のクラブ競技に夢中でしたから。ただ3歳でショートコース、4歳で本コースデビューさせました。グリーンに届くまで何度も打ちますが、走っていたので、後ろの組に追いつかれずにできた。それを月に1度やらせていただけ」(佳明氏)
状況が変わり始めたのは蟬川が小学3年生の時。近所のゴルフ場で開催された親子大会で優勝し、同伴競技者からジュニアの大会の存在を知ることになる。
「3年生で初めて出場した大会でいきなり関西予選を通過して全国大会で3位に入ったのですが、いま思えばそれから僕の“勘違い”が始まったような気がします」(佳明氏)
プロゴルファーなど夢にも思っていなかった親子が、勉強そっちのけで“ゴルフ漬け”になる。
「小学校高学年になると何人かのコーチに見てもらうようになりました。5年生の時にジュニアの世界大会で6位になったのですが、その時は学校も快く送り出してくれた。
しかし、中学になると“勉強は大丈夫ですか”と言われるようになり、中学3年の時に“行く高校がなくなっても学校の責任にしないでほしい”とまで言われてカチンときた。“ウチは来てくださいという学校に行くんです”と言ってやりましたよ」(佳明氏)
高校受験を控えた中学3年生の全国大会を前に、蟬川はこう言ったという。
「大会が始まる日の朝、息子は“俺の受験が始まる”と言って会場に行きました。そこで結果を出して興国から特待生で誘ってもらえた。息子には“泰果、分かっていると思うが恩返しせなアカンで。学校の名前で出場して成績を残すことや”と言いました。1年でいきなり国体優勝してくれたので親としてもホッとしましたね」(佳明氏)
高校時代は、周囲も目を見張る「練習の虫」だったという。興国高校ゴルフ部の前監督で同校教頭の中夜克友氏が語る。
「明るく冗談も言う普通の子でしたが、ゴルフだけは飛び抜けていた。とにかく練習熱心。周囲も蟬川を見て練習するようになり、いい影響を与えてくれました」
興国高校という環境は、新たな刺激を与えた。
「飛距離は高校に入ってから急に伸びましたね。アスリートクラスにはボクシングの高校チャンピオンから柔道やラグビーの高校代表クラスがいて競うように体を鍛えている。その影響は大きかったと思います」(佳明氏)