車に乗らないから、車を乗っていないから関係ないとはならないのが走行距離税の怖さである。送料はもちろん商品の価格にもその分が転嫁される。事業用途がどうなるかはまだわからないが、先の警備員の方のように通勤の場合はどうなるのか。実のところ、電車で通勤なんて日本全体からすれば一部の都会の話であって、日本の大半を占める地方では車で通勤、仕事をするのが当たり前という実態がある。
事業ドライバーでも一般ドライバーでも事情はそれぞれ、地域によってもそれぞれ、北関東などまだマシなほうで、三大都市圏以外の地域はもちろん、北海道などは相当な距離を走る人もいるだろう。そのほとんどは生活のため、生きるためだ。
思えばこれ以外にも車に関する理不尽な国の対応は多い。自賠責保険の積立金が一般会計の補填として政府および財務省が借りはじめて約30年になるが、2004年から返済されなくなり、2018年から少しずつ返済されてはいるが、ろくに返していない「借りパク」状態にある。ようやく返済が始まったが約6000億円という残りの金額を考えると、2022年実績で54億円、つまり100年かかっても返し終えない。そのため積立が不足するとして2023年度から「賦課金」名目で値上げとなる。国が借りパクしたから国民が払えというのはあまりにモラルハザードではないか。自動車税やガソリン税の多くも名目上はともかく実質的には一般財源として政府および財務省の都合のいいお財布となって久しい。今回の走行距離税の騒動も、元はといえばこうした自動車に関する不可解な税制と好き勝手な重課税による政治不信も大きいのではないか。
ショッピングモールから駅に向かうバスを待つ。来るのは50分後とのこと、あたりはすっかり暗くなった。遠く大通りは車の渋滞、田舎の主要箇所の渋滞は都会と同様に凄まじいものがある。車がないと本当に生活できない。生きるために車がある。こうした地方によってこの国は作られている。決してごく一部の都会によって作られているのではない。これまでの好き勝手な自動車税やガソリンの二重課税に加えて走行距離課税、本当にこの国が終わりかねない。
別の機会に話を伺った茨城県に住む筆者の旧友はこう語ってくれた。彼もまた通勤で車を使う。強い言葉だが、これが地方で生活する大半の日本国民にとっての本音であり、叫びだろう。
「車の走行距離に税金かけるのって、田舎では歩くのに税金かける、生きるのに税金かけるのと同じですよ」
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。