カンボジアもジャングルも全部本当の経歴だった
21才で大学を辞めたタイキ氏は、起業という夢を叶えるために本格的に舵を切る。
「でも、何の会社をやりたいとかいうビジョンはなかった。ただ、ネットの検索窓に『社長見習い』と打ち込んで、求人を検索する日々でした」
そこでみつけたのが、カンボジアでの求人だ。
「ある経営者がカンボジアで現地へ進出する日本企業のコンサルティングとレストラン運営、それに農地投資の事業を始めたんです。その中で飲食店部門の責任者の募集があり、軌道に乗ったら飲食部門を独立させ、社長にしますという話があった。応募したらレストランの責任者として採用されて、現地で働いていたのですが、社長から『世界を股にかけて活躍できるよう色々な経験をさせる』といわれて、社長のツテで地雷撤去のチームで一か月ほど働くことになったのです。
昼間はジャングルで地雷撤去。夜は狩りに出てサバイバル生活。そういうのをやっていました。地雷を撤去するには、金属探知機で地面をくまなく探索して、反応があれば爆薬をしかけ、バン!です。ハンティングは、夜中ジャングルにいくと真っ暗だから、動物の目が光るんですよ。そこをまたバン!と撃つ。撃った獲物は、その場で絞めて、一緒に狩りをした現地の仲間たちと一緒に、皮を剥ぎ内臓をくり出し、丸焼きにして食べていました」
チームに日本人は彼一人だったが、あっと言う間に馴染み、ジャングルでの“研修期間”を無事終えて帰還した。
「その後の仕事は社長の付き人のようなポジション。いろいろな経営者の人たちと関わり、話を聞く中で起業を考えるのであれば、マーケティングを学ぶ必要があると思い、帰国して、ネット広告代理店に勤めました。同じ業界で何度か転職し、最後の会社ではグループ内で新会社を立ち上げ、のちに他の会社に買収してもらおうと交渉を行ったのですが、買収額に折り合いがつかず、独立ができないならば、と退職しました」
「億」への一歩は「千円のランチから」
29歳の時だった。広告業界から離れたタイキ氏は、昼は働きながら、週末は歌舞伎町のバーでバイトを始めた。
「その時、初めて、仕事を“楽しいな”と思ったんです。それまでは、いかに会社を回すか、売り上げを上げるかということで、達成感はあるものの自分が“楽しい”と思ったことはなかったから」
だが、初めての「夜の仕事」。しかもバーといえどもオーセンティックなものではなく接客も楽しませ、お酒を頼んでもらうことで利益をあげるホストクラブ的な要素もある店だった。先輩たちが毎日のようにシャンパンを開ける中、自分だけがどうしても売り上げを立てることができない。
「信じられないかもしれませんが、当時の僕はとにかく女性におごられるのがイヤで、お金を出させたことがなかったから、街でナンパした女性をバーに連れて行っても、払わせることができないんです。
これでは自分の殻を破れない……と、まずは『お金を使ってもらうことに慣れる』ところから始めました。一番最初は1000円のランチをおごってもらい、次は2000円にアップさせ、それから洋服を買って貰ったりと、徐々にステップアップさせていったんです」
まさに、千里の道も一歩から――。タイキ氏は徐々に、バーでも売り上げを上げていくようになった。そんなときに、たまたまバーに来ていた『X』のスタッフから「ホストをやってみないか」と“スカウト”されたという。その誘いに、タイキ氏は即座に乗った。
水商売もこのバーが初めて。ホストとしては完璧な未経験で、太い客がついているわけではない。ましてや相手は天下の有名店。躊躇はなかったのか。
「30歳目前で転職は“ギリラスト”って感じでしたね。何かするのであれば、今しかなかった。スポーツマンや芸能人が個人の実力だけでのし上がっていくように、自分の実力だけでどこまで輝けるか、挑戦してみたいという気持ちしかなかったんです」