2020年に再び大阪都構想の住民投票を実施したが、前回と同じく否決という結果に終わった。その結果を受け、松井市長は政界からの引退を表明。市長職のみならず、大阪維新の会や国政政党である日本維新の会の代表からも退く。
筆者は2011年に実施された大阪府知事選・大阪市長選のW選から、松井候補を取材してきた。2011年のW選の時点では松井候補の知名度は決して高いとはいえず、市内での街頭演説は高い人気を誇る橋下候補と一緒に回り、その人気に依存していることは誰の目にも明らかだった。
とはいえ、松井候補は府知事選に立候補しているわけだから、大阪市外でも選挙活動をしなければならない。その際は、橋下候補なしの街頭演説になる。
また、市内でも一人で演説することがあった。私はその場に居合わせたことがあるが、松井候補が駅前で演説を始めても誰一人として足を止めない。取材している報道陣も私一人だけという状況だった。松井候補の演説は言葉少なめで、橋下候補の演説のように立板に水という印象はない。随所にぎこちなさも感じられ、今の松井市長からは想像できないような街頭演説だった。
2023年春の大阪市長選は、その松井市長の次を決める選挙になるわけだが、その結果は少なからず国政政党である日本維新の会の今後にも影響を及ぼすだろう。それが、注目される一因でもある。
暴言などで引退を決意した現市長が候補を送り出す明石市長選挙
注目される地方選は、ほかにもある。そのひとつが、兵庫県明石市の市長選だ。現職の泉房穂市長は、2003年の衆議院議員選挙に民主党から立候補。選挙区では敗北したものの、比例復活を果たした。小泉旋風が吹き荒れた2005年の衆院選は、公明党候補を相手に落選。比例復活すら叶わなかった。
その後は国政選挙に出馬せず、2011年の明石市長選に出馬して当選。市長就任後は子育て支援政策を次々と打ち出し、明石市が2018年に中核市へ移行すると児童相談所の開設を積極的に推進した。
児童相談所は児童虐待や家出した少年・少女を保護する行政機関で、都道府県と政令指定都市は必置となっている。それ以外の自治体は児童相談所が設置できなかったが、2006年に児童福祉法が改正されたことにより、中核市も設置できるようになった。
設置できるようになったとはいえ、当時は全国に54市ある中核市のうち、神奈川県横須賀市と石川県金沢市の2市だけしか児童相談所を設置していなかった。中核市になった明石市は3市目として名乗りをあげ、2019年に開設へと漕ぎ着けている。