3代教祖夫人と2代教祖・影身祖夫妻の相克
1970年代から80年代にかけてのPL学園硬式野球部の隆盛期は、「学力は東大、野球は甲子園」という2代教祖・御木徳近氏の大号令のもと、信者のネットワークと浄財を使って全国から毎年20人程度の精鋭を聖地に集めて強化をはかってきた。
その恩恵を最大限に受けたのが、1983年夏から5季連続で甲子園に出場して20勝を挙げた桑田氏と清原和博氏のKKコンビであり、1987年に春夏連覇を達成した立浪和義氏や片岡篤史氏らだ。
一方で、KKコンビが入学した1983年に野球部を愛してやまなかった2代教祖は死去し、貴日止氏が25歳の若さで3代教祖に就任する。しばらく野球部の隆盛は続いたものの、2000年代に入ってからは衰退の一途をたどっていく。もちろん、厳しい上下関係を背景にした度重なる不祥事が一因にある。だが、それ以上に、教団の信者数激減と、教団幹部が野球部への関心を失ったことが大きな要因である。
貴日止氏は教祖に就任した1983年に美智代夫人と結婚したが、その結婚にはもともと2代教祖や「影身祖(かげみおや)」と教団内で呼ばれていた徳近氏の妻が大反対していた経緯があった。
結婚24年目の2007年に貴日止氏が脳の疾患によって倒れて布教活動に不安を抱えるようになると、美智代氏が実権を握るようになっていく。美智代氏は全国に200か所以上あった教会の統廃合を進めて経営のスリム化を推進する同時に、PL学園にもメスを入れ、野球部の休部を先導してきたとされる。教団の元教師(一般的な宗教でいう布教師)が語る。
「美智代氏にあるのは、結婚に反対した2代教祖やその奥様に対する私怨ばかり。学園の野球部や剣道部、バトン部、(人形劇団の)劇団カッパ座など、2代教祖が愛したPLの文化がどんどん消えているのが現状です。美智代氏は奥津城(おくつき)と呼ばれる歴代教祖のお墓から2代様の遺骨を取り出し、その行方に関しては信者には伝わってきていません。聖地内の谷を、建設現場で出た残土などで埋めてお金にし、運営費に充てている。聖地を不浄なもので汚すだけでなく、統廃合を推し進めてきた全国の教会を売り払って、教師の給与などに充てているんです」
そうした中、3代教祖が2020年の師走に死去。そこから聖地内の時間は止まったままだ。
「教務総長という立場である美智代氏が事実上、教祖代理のような立場でトップに君臨しています。今年の壁掛けカレンダーは、昨年までの400円から、1000円に値上げされました。大きな金額ではありませんが、こうした些細なことでも信者の不興を買っています。信者の減少はもちろんのこと、古くからの教師も美智代氏に愛想を尽かしてPLを離れてしまった。現在の教団に、美智代氏に意見具申できるような幹部はいません」(同前)