片言でもいいから日本語で通す
まず、日本語との出会いについて伺った。
「僕は1983年生まれなんですが、子供の頃から日本の文化に接していました。プレイステーションで遊んだり、X JAPANを聞いたり、友達と一緒に映画『リング』を見たり。『ウイニングイレブン』というサッカーゲームも好きでしたね。実況や解説は全部日本語だったんですが、当時は言葉に対する意識は特になくて、ただ楽しんでやってました。
カルチャーショックを受けたのは2002年です。日韓共催のサッカーワールドカップのテーマソング、日本と韓国の歌手がコラボした『Voices of KOREA/JAPAN』の『Let’s Get Together Now』という曲を聞いて、すごいと思った。今まで聞いたことないメロディ、言葉の響き、使い方。そういうのが全部合わさって、ああきれいだなあと思ったのが日本語の第一印象です。
ハングルって、強く発音するところと弱いところの波があるというか、リズムが独特で抑揚がはっきりしてるんですけど、日本語はなめらかで耳当たりが優しい。マイルドで押しつけがましくない。日本の映画やドラマ、アニメを見て、日本語をたくさん聞くうちにそんなふうに思うようになりました」
スカウトされて来日したのは2004年。当時はいつも通訳の方が一緒だったという。
「その頃は全然喋れなかったです。韓国で日本語の特訓して日本に来たわけではなかったので、ほんとに挨拶程度。通訳さんはどこにでも一緒に来てくれたんですけど、最初から僕は、絶対日本語で勝負したいと思っていました。片言でもいいから日本語を使おう、日本語で通そうと。それはもう決めてました。
2005年3月にデビューして、初めて出演したのがラジオの生放送番組。ラジオって、普通は放送当日の30分くらい前に進行の打ち合わせをして、時間が来たら番組が始まるわけですけど、そのときは事前に台本を送ってもらいました。1週間くらい前かな。えっそんなに早く?って、向こうの方もびっくりしてたかもしれない(笑)
で、その台本に全部ハングルでルビをふりました。日本の印象はどうですか、という1番の質問に対して『1 日本は大好きです。道が、町がきれいです』。日本の食べ物は好き?という2番目の質問には『2 おすしが好きです』と書いて、スタジオに向かう新幹線の中でそれを一生懸命覚えました。もう頭はぱんぱんだし、気持ちもいっぱいいっぱい。それでも本番のときは通訳の方を介さないで、DJさんと2人で話しました」
なぜそこまで「絶対日本語で話す」ことを課していたのだろう?