“百戦錬磨の男”山県なりの「良識」

 こういう考え方をすれば、いやそれはすでに信仰と言っていいものだが、その方向性に反することはまさに極悪人の所業になってしまう。幕末、「朝敵」と呼ばれたらそれは極悪人を意味したが、それと同じことになっていることにお気づきだろうか。だからこそ政友会もそのリーダーである犬養毅などの政治家も、民衆からおおいに嫌われることになったのである。

 明治以降の教育制度によって「天皇教」は確固たる日本人の信仰になった。それは、そもそも明治維新の目的が欧米列強の侵略を撃退し、日本の独立を確保するためであったからだ。そのためには西洋近代化は不可欠だがそれだけではダメで、国民が一つにまとまるための宗教が必要である。だからこそ「天皇教」が強調された。しかし「薬の効き過ぎ」で、日本いや大日本帝国は破綻への道を進むことになった。

 これまで、山県有朋という人物を伊藤博文の対極にいる軍国主義化路線の巨頭として紹介してきた。たしかに、昭和二十年の破綻からその原因を探っていくと山県に突き当たるのは事実だが、山県とて幕末から明治維新の修羅場をくぐり日清・日露の両戦役も経験した百戦錬磨の男である。桂太郎や児玉源太郎といった「若造」とは違う見識を持っていた。

 この時点から少し先(大正3年8月)のことになるが、山県は日本がこれからどのような国際関係をめざすべきか政府に意見書を送ったことがある。その内容は次回以降詳しく取り上げるが、一部その主張を紹介しておこう。じつは山県は、次のように建言しているのである。

〈世上には、この際わが国の軍事力を頼んで中国を威圧し、中国に対する帝国主義的地位を強化すべきであると論ずるものもあるが、それは素朴、単純である。〉
(『山県有朋―明治日本の象徴』 岡義武著 岩波書店刊)

 要するに、『東京日日新聞』が「近事片々」で主張していたような路線は危険である、と考えていたのだ。もちろん、それは「十万の英霊と二十億の国帑」という犠牲を無視しろということでは無い。むしろ、それを生かすためにも袁世凱と和解協調すべきだと説いているのである。

〈彼はこのように日中両国の提携を力説しながらも、満蒙におけるわが国の諸権益については、これをきわめて重要視した。(中略)それらは二十余万人(原文ママ。筆者註)の生命の犠牲と二〇億円にも近い「財貨」の「消尽」とによって獲得したものであることを指摘し、満蒙経営の維持・発展のためにロシアおよび中国との友好関係保持につとめなければならないと力説している。〉
(引用前掲書)

 おわかりだろうか。「十万の英霊と二十億の国帑」についての認識は同じだが、それから先が国民や『東京日日新聞』などの扇動的なマスコミとは違う。むしろ中国(袁世凱)やロシアとは対立すべきでは無く、友好関係を確立すべきだと言っているのだ。これはやはり修羅場をくぐってきた山県なりの良識と評価すべきものであろう。

 ところが、実際には日本はこの「陸軍の法王」山県有朋すら否定した路線を行くことになる。そのきっかけとなったのは、日本史だけで無く世界史上の重大事件であった。

 第一次世界大戦の勃発である。

(1388回へ続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2023年8月4日号

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