刺青を入れたときの覚悟
初めて見た女の刺青は男のそれとはまるで違っていた。首の付け根から尻にかけて背中一面に彫られた羽衣天女は、白い肌の上に艶めかしく浮き上がっていた。勢いや迫力はないが、優しく穏やかな図柄だ。天女の輪郭は少しぼやけているが柔らかい。白い肌のせいか色は明るくパステルカラーのような淡い色調だが、肌の奥まで深く色が入っていた。それが手彫りの特徴だという。天女の周りには蝶が飛び、牡丹が咲く。姐さんが体をよじるとそれに合わせて天女や蝶が動いた。パラパラ漫画を見ているような不思議な感覚がした。
極妻である姐さんに刺青を入れた理由を聞くと、「映画のセリフみたいだけど、極道を好きになったんじゃない。好きな男が極道だっただけ。そう言いたいところだけど、私の場合は極道を、それも組織のトップと知っていて好きになった。だから覚悟を決めて一緒に生きていくために墨を入れた」。自らも極道として生きていくという決意だと語る彼女の目は力強かった。
覚悟の先にあったのは激痛と高熱。彫ってもらう度に38度近くの高熱が出て、全身が腫れあがり、寝返りすら打てなかった。それでも彫り上がった時は嬉しかったという。二回り以上も年上の組長は、その天女を見ながら「ここまでされたら、死ぬまで面倒を見ないわけにはいかないと思った」と語っていた。
ところがそれから数年後、姐さんは組長を捨てて家を飛び出した。若いヤクザに惚れたのだ。組長は彼女とそのヤクザを追うことはなく静観した。「しばらく経てば熱も冷め、バカなことをしたと頭を下げて戻ってくる」。半年後、組長の言う通り姐さんは戻ってきた。許すのかと思ったがそうではなかった。「遊びぐらいなら許せるが、男と出て行った女など家には入れない」と玄関先で追い出したのだ。「極道の世界で生きるなら、惚れた女でも裏切りは許されない。ましてあいつは墨まで入れていた」。彼女に残されたのは背中の刺青だけだった。
それから数年後、元姐さんに会った。背中の刺青を消そうと病院をいくつも探したが、刺青が大きすぎて無理だとすべて断られたという。「後悔しているのか」と聞くと、「後悔していないといえば嘘になる。着る服には気を使うし不便なことも多い。何より、寄ってくる男がヤクザしかいない」と肩をすくめて笑った。今でも彼女は、その背に羽衣天女を背負って生きている。