「生え抜きしか監督になれない」は都市伝説
中日では守りの野球を標榜。キャンプでノックを数時間打ち続け、荒木雅博と井端弘和のアライバコンビを12球団一の二遊間にした。
「監督になると、どうしても自分のプレースタイルの延長線上でチームを作りがちです。現役時代、ホームランバッターだった人は打撃力を全面に押し出そうとする。しかし、落合さんは『ピッチャーが1点も与えなければ負けない』と投手を中心にチーム作りを考えた。非常に客観的で柔軟な姿勢を持っている。とにかく猛練習させる監督なので、若い選手の多い巨人にはうってつけの人材だと思います。よく中日で若手を育てらなかったと言われますが、森野将彦や大島洋平を抜擢しています。落合監督時代の鍛錬があったからこそ、2人とも息の長い選手になりました」(前出のベテラン記者)
歴代の巨人の監督を振り返ると、生え抜きの4番やエースが就任している。他球団を経験した人物は監督になれないとも囁かれており、落合氏の就任はないと考える向きもある。
「目的はあくまで優勝ですし、もう生え抜きじゃないとダメという時代ではない。それに優勝4度、日本一2回の藤田元司監督は大洋の投手コーチを務めた後、巨人の監督になっています。他球団のユニホームを着たら無理というのは“都市伝説”に過ぎません」(球界関係者)
「引退後は読売グループでお付き合い願う」
史上最多の3度の三冠王を獲得した落合氏は1979年、25歳でロッテに入団。類まれなバットコントロールで首位打者5回を獲得。1987年オフに1対4のトレードで中日に移籍し、史上初の両リーグ本塁打王、打点王にも輝いた。
1993年オフ、憧れの長嶋茂雄監督に請われ、落合氏はFAで巨人に。入団会見で「長嶋さんを胴上げできなかったら末代までの恥」と話し、3年間で2回優勝に導いた。