そこには仕立てのいいスーツが掛かっていた。島さんと同じアルマーニだ。なぜ米長さんがアルマーニを用意しているのか分からなかったが、米長さんは僕にこう語りかけた。
「いやね、私だってスーツを着たい。着たいんですよ」
そしてこう続けた。
「でも……、着ないんだな」
米長さんが言わんとしていることは理解できた。タイトル戦の服装はルールで決められているわけではない。しかし、“将棋指しとして羽織袴を捨てるわけにはいかないでしょう”というのが米長さんの考えだった。
僕もその考えには同感だった。米長さんはこのタイトル戦で島さんに敗れてしまうのだが、米長さんの意地を見せてもらったと思っている。
将棋連盟会長時代の米長さんは、率直にいってあまり評判が良くなかった。
女流棋士の分裂問題を招いた際は多方面から失政を糾弾され、当時プロ棋士の存在を脅かすような存在となっていた将棋ソフトとの対決に舵を切った際には、棋士たちからも不満や反発の声が上がった。
僕も全面的に擁護するつもりはない。しかしあのとき、誰がどのようなことをできただろうという思いも捨てきれない。
僕が将棋界で仕事を始めた当時、100人にも満たなかった棋士は倍近くになり、連盟が財政を維持していくためには何らかの「改革」が必要だった。目覚ましい進化を遂げていた将棋ソフトは、人間を超える棋力に到達することが確実視されつつあった。プロが頑なに対決を避ければ、世間から“逃げ”とみなされかねない。将棋界の将来を考えたとき、米長さんの決断を誰が批判できるだろうか。
晩年の米長さんは前立腺がんを公表し、闘病生活を送っていた。病気になったとはいえ、僕はまだまだ米長さんが元気に将棋界で仕事をしてくれるものと信じ切っていたのだが、2012年に彼は世を去った。