ここで終わると大変なことになるから、その心は……と質問の真意を必死で話したわよ。「私たちが子供の頃の大晦日は、まずレコード大賞で受賞者と一緒に泣き、その後、紅白という年に一度の歌の祭典を、年越しそばを食べながら一家で見る。その後、暗い中、白い息を吐きながら近所の神社に初詣。この一連の行事が日本中から消えました。大晦日に家族がテレビの前に集まりません。だから紅白も終わった。そう思ったわけです」と。
その間、小林さんはうつむきながら「ふむふむ」とか「そうね」とあいづちを打っていたっけ。
で、私が本当に言いたかったのはその後なの。「そんな中で小林さんの出番だけ視聴率が急上昇でしょ。いまや紅白といったら小林さん。そりゃあ、何か言いたくなる人はいますよ」と、ここまで一気に話したら喉がカラカラになった。
「そうかぁ。そういうことなのね」と言ったときの小林さんの素の顔は28年たったいまも忘れられるものじゃない。
歌は世につれ、世は歌につれというけれど、かつての紅組出場歌手は、昭和50年代まで、老いも若きも全員で太ももをさらして網タイツにレオタードのラインダンスや、スカートを足で蹴り上げるフレンチカンカンを踊った、といったら誰が信じるだろう。大晦日の本番に向けて猛特訓をしたとか、これが嫌で紅白を辞退したとか。結局、数年で取りやめになったけれど、昔の紅白は隠し芸大会の意味もあってね。白組全員のマンボダンスはお腹を抱えて笑ったっけ。
なんて、昔の紅白を昭和オババが熱く語ったところで仕方がないけれど、テレビ界最大の恒例行事『紅白歌合戦』が映すのは歌い手だけじゃない。その時々の世相を映したのよね。
『紅白歌合戦』という名称だってそう。「紅組と白組の2つに分けるのはいかがなものか」という声が制作内部でも起こっていて、「出場歌手の出身地の東西で分けたらどうか」とか「そもそも勝ち負けを決める必要があるのか」という話し合いがここ数年続けられているそうだけど……ムズカシイ話なしに、古き良き紅白を見せてくれた方が私はありがたいんだけどな。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2023年12月14日号