「離婚」という単語を決して使わない離婚報告(三浦瑠麗氏のXより)
メディアやSNSで騒がれていたのは円満説と復帰説の2つ。円満説でいえば、離婚という表現には区切りをつけた、過去と縁を切ったというイメージがある。だが卒業という表現にすれば途端に印象はマイルドなものになる。
2023年3月に東京地検特捜部に業務上横領の疑いで逮捕された元夫の三浦清志氏に対し、当時は自身が代表を務めるシンクタンク「山猫総合研究所」のホームページで、「家族として、夫を支えながら推移を見守りたいと思います」とコメントしていた三浦氏。離婚と書けば、支えていくはずの元夫をバッサリ切り捨てたような印象が濃くなる。優雅なセレブ生活を、幸せな夫婦関係をアピールしてきた彼女が、それが難しくなってきたため元夫を捨てる、自身に累が及ばないように縁を切るという印象が強くなる。それを払拭するための表現が”友人になりました”だ。プライベートでは幸せを演出してきただけに、離婚という表現からくるネガティブイメージは避けたいのだと思う。
卒業は1つの業や段階を完了すること、1つの課程を修了することという意味する。彼女はこの結婚でやれるだけのことはやったと思っているのかもしれない。さらに卒業は次のステップに進むためのもの。新しい門出でもあり、”おめでとう”と祝う晴れやかなものだ。卒業という言葉を使ったことから、彼女にとって離婚は明るく前向きになれるものだと言いたいのだろう。曇りのない陽の当たる道をもう一度、歩むためには、元夫に有罪判決が出る可能性がある以上、その後では遅い。このタイミングで離婚するのは、事件以前のような仕事での活躍が頭にあるからだろう。
離婚報告で彼女は三浦姓を選んだと書いた。元夫を見限っていないとアピールしたいのかもしれないが、旧姓の濱村に戻せば彼女の知名度は一気に下がる。濱村瑠麗の知名度はゼロに近い。離婚して旧姓に戻すことのデメリットは仕事などで誰しもあり、それは理解できるが、彼女が旧姓に戻すと思った人はほとんどいないのではないか。それをわざわざ書いて名前を強調する三浦瑠麗という人は、どこまでもあざといよなぁ。
