疑似的冷戦構造(山口)
ロシア・ウクライナ戦争に続き、二〇二三年一〇月七日、イスラエルとハマス(イスラム原理主義の武装組織)との間で戦闘が始まりました。このような具体的な軍事紛争をめぐり、かつての東西冷戦時代になされた議論の枠組みを再構築するのも「冷戦リベラル」の動きです。今は、日本でもアメリカでもヨーロッパでも、言わば「疑似的冷戦構造」が議論されているのです。
特に西ヨーロッパでは、伝統的な西洋文明と異質な文明、すなわち「キリスト教vs.イスラム教」という対立が構造化されました。こうした対立構図を日本国内に置き換えると、ひとつに「伝統的家族像vs.女性の権利を含めたジェンダー平等」があります。ここに、自民党は新たな争点を求めました。
東西冷戦が終結して一〇年が経過した一九九〇年代末頃から、自民党は歴史修正主義や伝統的家族主義を新たな政治的争点に組み込みました。これは安倍さんの手腕でもあるのですが、バックラッシュ(揺り戻し、反動)を進めていった結果、右派ナショナリストを勢いづけて、安倍政権は支持を集めたわけです。安倍さんの周囲に右派的な人たちが結集しました。冷戦構造の再構築という意味では、それが奏功した。安倍さんは、言わば疑似的冷戦構造をつくったのです。
その点で、岸田さんは宏池会の会長ではありましたが、安倍さんがつくった疑似的冷戦構造に関して個人的な考えを何ひとつ言っていません。
たとえば二〇二三年八月三〇日、松野博一官房長官(当時)が記者会見で、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することの出来る記録が見当たらない」と述べました。その後の参議院内閣委員会(一一月九日)でも松野さんは同じ答弁を繰り返しましたが、岸田さんは「特定の民族や国籍の方々を排斥する不当な差別的言動は許されない」(一一月二九日、参議院予算委員会での答弁)と抽象的な答弁をしただけで、松野さんの政府見解を引っ込めることはありませんでした。
朝鮮人虐殺に対する日本政府の見解という問題が、国際的にどう評価され、どんな反応を呼ぶのかを首相が深く考えていない。私は疑問に思いました。それこそ学術会議問題で「除外リスト」に載せられた加藤陽子さんらの本をきちんと読んでいれば、このような答弁はしないはずです。佐藤さんの言われる「学知」に縁がないと言うか、無関心なのかもしれません。
私は、「かつての宏池会の政治家は読書量も教養も豊かだった」と述べましたが、宏池会に象徴される知的で穏健な保守政治家の層が薄くなったことを感じます。その意味で岸田さんは、今の自民党そのものです。
岸田さんは自民党総裁選(二〇二一年九月二九日)に出馬した際、「新しい資本主義」を経済政策の看板に掲げました。池田勇人さんの「所得倍増」を意識したような宏池会的なメッセージです。しかし中身がありません。必死にアピールしているのは新NISAですが、これは所得倍増ではなく資産所得を増やすこと──国民に「株式投資や投資信託で得られた利益を非課税にしますから、どんどん投資してください」とする制度設計です。
新NISAは、若年層を中心にそれなりにヒットしているようですが、投資を経済政策の売りにするというのは、岸田政権が深く考えずに、流れのなかで政策を打ち出した感が否めません。株価が逆回転を始めたら、国民は政府を恨むかもしれません。