古田敦也氏と中井美穂氏の結婚式にも出席
芸能界入りを振り返る
芸能界入りのきっかけは、腕っ節の強さを見込まれてのこと。愛媛・八幡浜から松山市、大阪市へと出て、心斎橋にあった楽器店でピアノやエレクトーンを売るセールスマンをしていた。あるとき、“アブナイ人”に飲食店で絡まれ、逆にのしてしまった。その腕をかわれ、ステージショーで客を楽しませるキャバレーの用心棒に。ある日、ショーの司会が病で倒れると、凡ちゃんに代役のお鉢が回ってきた。
「チップがポケットいっぱいになるぐらいもらえて、これはセールスマンをやってる場合じゃない、と司会専業になり、どうせやるなら、と東京へ出てきたんです」
芸能界への憧れもあり、コメディアンを目指して昼は芸能学校で学び、夜は銀座や赤坂の一流クラブで司会の仕事をする生活が10年ほど続いた。そんなとき、クラブに客として来ていたTBSラジオのプロデューサーにスカウトされ、ラジオ、テレビの仕事へと繋がっていった。
「『街かどテレビ11:00』で人気が出て、女性からファンレターをたくさんもらいましたが、差出人の名前を見ると“ヨネ”“トメ”など、ずいぶん年上と思われる女性ばかり。おかげで、女性問題を起こさずにすみました(笑)」
その後はバラエティー番組でビートたけしやとんねるず、ダウンタウンらと共演する一方、アントニオ猪木や元横綱・千代の富士らの用心棒を務めていたという。
