また、この大戦において戦闘員は九百万人以上、そして非戦闘員も七百万人以上、合わせて千六百万人以上の犠牲者を出すという惨憺たる結果に終わった。小さな国なら全人口に匹敵する人間が死んだことになる。そこで「人類」が考えたのは、二度とこのような惨禍を招くまい、そのための仕組みを作るべきだということだ。それが人類初の国家を超えた連合組織である国際連盟(League of Nations)の設立につながっていく。
だが、そののち第二次世界大戦の勃発を防ぎ切れなかったことでもわかるように、国際連盟は「失敗作」であった。では、なぜ失敗したのかと言えば、「理想どおり」にいかなかったからだ。では、当時の「理想」とはどのようなものだったか?
共産主義者なら「マルクス主義に基づくプロレタリアート独裁の国家だ」と答えるだろうが、もっとも過激な形の資本主義である帝国主義の信奉者のヨーロッパ列強は、そんなことは認めない。しかし、いまヨーロッパ列強と言って欧米列強と言わなかったのは、この時代のアメリカはバリバリの帝国主義国家イギリスやフランスと一線を画していたからだ。
「理想主義者」とも評されるウッドロウ・ウィルソンが第二十八代アメリカ大統領だったからである。ウィルソン大統領は、すでに国際平和確立のための原則を発表していた。「十四か条」と呼ばれるものだ。
〈十四か条 じゅうしかじょう
1918年1月にアメリカ合衆国大統領ウィルソンが発表した第一次世界大戦の講和原則。具体的には、秘密外交の廃止(第1条)、公海の自由(第2条)、経済障壁の撤廃(第3条)、軍備の縮小(第4条)、植民地問題の公正な解決(第5条)、ロシアからの撤兵とロシアの政治問題の自主的解決(第6条)、ベルギーの領土回復(第7条)、アルザス・ロレーヌのフランスへの返還(第8条)、イタリア国境の再調整(第9条)、オーストリア・ハンガリー帝国内諸民族の自決(第10条)、バルカン諸国の領土保全(第11条)、オスマン帝国内諸民族の自治(第12条)、ポーランドの独立(第13条)、国際組織の創設(第14条)の14か条であり、ベルサイユ条約の内容に大きな影響を与えた。この宣言は、その2か月前にロシアの社会主義革命政府が第一次世界大戦の帝国主義的性格を暴露し、無併合、無償金、民族自決による講和の原則を発表したのに対抗して発せられた。(以下略)〉
(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』小学館 項目執筆者油井大三郎)
引用文の末尾にある「ロシアの社会主義革命政府」の「講和の原則」については前にも述べたことがあるが、一九一六年(大正5)にいわゆる「帝国主義論(資本主義の最高の段階としての帝国主義)」を完成し革命を成功させたウラジーミル・レーニンが、新しい政府の代表として世界に向けて発した「平和に関する布告」のことだ。
レーニンは革命の成功を踏まえて「無賠償」「無併合」「民族自決」を原則とした講和に踏み切るよう全交戦国に提案したのである。これに対してアメリカのウィルソン大統領は感銘を受けたものの、フィリピン等を植民地化しているアメリカの大統領として立場上は全面的に支持するわけにもいかず、帝国主義陣営の一員として「修正」を加え、十四か条とした。