大日本帝国にも正義があった
さて、おわかりいただけただろうか? 長州が「征伐」という言葉を消したかったのは、あのときは幕府つまり徳川慶喜に「正義」があったことを隠すためである。幕府を絶対悪とするためには、それが必要だった。
同じことで、一九四五年(昭和20)以降にアメリカが日本人に「太平洋戦争」と言わせ「大東亜戦争」と言わせなかったのは、その言葉を残すと「大日本帝国にも正義があった」、少なくとも「絶対悪では無い」とバレてしまうからなのである。では、なぜ「大東亜」という言葉を残すとバレるのか?
これもじつは、「長州征伐」を考えてみると理解できる。「征伐」という言葉が残ると、「これは天皇が許可した正式な討伐だった」ということがわかり、「ならば当時の天皇の名前で出された正式な命令(詔)」があるはずだ」ということもわかる。そこまでわかれば歴史を研究する者なら「その詔を見てみよう」ということにもなり、「なるほど、当時は慶喜のほうが正義だと考えられていたのだな」という結論に達する。これが本当の「歴史の理解」ということで、逆に歴史の真実を知らせまいとする人間はまず「征伐」という言葉を消そうと考えるわけだ。
同じことで、「大東亜」という言葉を消そうとしたアメリカは、じつはそこから歴史を研究する人間の持つ思考回路が働き、歴史の真実につながってしまうことを恐れていた、ということなのである。「大東亜」という言葉が残れば「征伐」と同じで、人間は必ずその意味を探るだろう。たとえば大東亜戦争開戦前、当時の日本では「大東亜共栄圏」ということが盛んに言われた。
〈大東亜共栄圏 だいとうあきょうえいけん
第2次世界大戦を背景に、1940年第2次近衛内閣以降 45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的、政治的、経済的支配の正当化を試みたものにほかならなかったといえる。第1次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本、満州、中国を含むものにすぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド、オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化にほかならない。〉
(『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』)
ちょっと失礼な言い方になるかもしれないが、ここ数回の連載は読者に「真実を見抜く目」を養ってもらうのに絶好のトレーニングになったのではないかと、筆者は自負している。
この事典の記述の「実際は、東アジアにおける日本の軍事的、政治的、経済的支配の正当化を試みたものにほかならなかった」というところは、まさに左翼歴史学者風の典型的な「検事調書」であることはわかっていただけたと思う。つまり、意図的なのかそれとも戦後ずっとアメリカの洗脳に晒されていたから真相を理解できないのかは判断がつかないが、この事典の記述には「被告人に有利」なきわめて重大な事実がまったく書かれていないのだ。それが「なにか」ということは、もうおわかりだろう。念のためにヒントを言えば、大東亜共栄圏にはオセアニアつまりオーストラリアも含まれるということだ。
オーストラリアが日本の支配下に入れば、どういうことになるか? アボリジニに対する不当な弾圧は一切排除されるだろう。日本人は台湾の先住民に対してもそうだったが、いかに文化のレベルが低くても人間を「遊びのための狩り」の獲物にしたりはしない。また、日本がイギリスに勝てば暴虐なインド支配は終わり、アメリカに勝てばネイティブ・アメリカンや黒人に対する差別も無くなるだろう。
なんとなれば、大日本帝国はそんな「鬼畜」とは違って、人類史上最初に人種差別撤廃をすべきだと提言した国だからだ。
(第1460回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年7月18・25日号