海水浴場などで赤と白の格子模様「津波フラッグ」が掲げられたら避難の合図。大津波警報、津波警報、津波注意報が発表されたことを知らせている(AFP=時事)
十年一昔といわれるが、歴史に残るような大震災も、昔のこととして記憶が薄れるものなのか。7月30日朝に発生したロシア極東、カムチャツカ半島沖を震源とする巨大地震による津波は、震源付近のカムチャツカ半島や千島列島はもちろん、日本列島、ハワイなど太平洋地域の広範囲で津波警報が発令された。警戒レベル4の避難指示も全国各地で発令され、対象地域にいる人は全員速やかに危険な場所から避難するよう呼びかけられた。そして、避難のための渋滞も各地で発生した。ライターの宮添優氏が、避難渋滞の発生に対する戸惑いと反省についてレポートする。
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ロシア・カムチャツカ半島付近で発生した大地震。日本国内でも、主に北日本の太平洋側に「津波警報」が発令され、ほぼ全てのテレビ局が急遽報道特番を組み、海沿いや河口付近などにいる人へ「避難」を呼びかけ続けた。
また、各地の公共交通機関でも運休や遅延が相次ぎ、帰宅困難者が続出。幸い、津波による人的被害はなかったものの、現場取材を続ける一部の記者達からは驚きや不安の声が上がっている。
「避難の時には車を使わない、というのは、3.11以来の”常識”だと思っていました。ですが、多くの人々が避難のために車を使い、高台に続く道路では大渋滞が発生していました。万一、そこに大きな揺れが襲っていたとしたら、被害は甚大だったでしょう」
こう話すのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の取材経験もある東北地方のテレビ局記者。あれから14年が経過し、その時の教訓が薄れてしまっているのではないかと危惧する。
「もちろん、今回の地震や津波と3.11を比較することはできません。津波の予想到達時刻も、少し余裕があった。ですが、奨励されていないマイカーでの避難が相次ぎ、最終的に避難できなかった人もいました。3.11では、車で避難中に渋滞に巻き込まれ、そのまま津波の濁流に飲まれて命を落とした人もいる。そのような記憶や教訓が薄れてしまっているような気さえしました」(テレビ局記者)
サーフボードを持った若い男たちがあらわれた
マイカー避難の渋滞は、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地で相次いだ。だが、そのことを大きく問題視するメディアは少数派だ。
「教訓としは理解していますが、いざ事が起きた時にどうするか。今回、マスコミは避難は呼びかけたものの、マイカーを使わないようにする、と強く注意喚起することはなかった。3.11を経験した我々自身ですら、そうした配慮ができなかったことは、猛省が必要だと感じています」(テレビ局記者)