リシェットと愛犬のドーベルマン(撮影・横田徹)
ウクライナ東部への出発の朝、興奮と緊張が入り混じった気持ちでホテルの入り口で待っていると、リシェットがフィアット500に乗って登場したので私は目の前が真っ暗になった。日本でも人気があるイタリアの小型車フィアット500は近郊の週末デートにはもってこいだが、地雷が埋設され砲弾が飛び交う最前線に行く車ではないと断言できる。『カリオストロの城』のルパン三世と次元大介だってフィアット500でカーチェイスはしても戦場には行ってない。
ましてや、屋根を全開にできるキャンバストップは砲弾の破片どころかナイフでも簡単に突き破れるし、全開にして高速道路を走行中にドーベルマンが車外に飛び出そうものなら大惨事を起こす。いくら戦時下のウクライナ人でも、飛んでくるミサイルには心構えがあっても走行中の車から飛び出したドーベルマンは想定外だ。左側のドアミラーが根元から折れて無くなっているのは、もはやどうでもよい。一昨日、取材中にリシェットがバックレたこともあり、これには普段は温厚な私も怒らずにはいられなかった。
「これで前線に行くんじゃないだろうな? こんなに狭くては荷物が入りきらない」
リシェットは「大丈夫」と後部ハッチを開けて私の荷物を詰め込み始めた。ヘルメットや防弾ベストを力いっぱい押し込んで隙間にドーベルマンを入れると、
「ほら全部入った」
『カリオストロの城』でも同じようなシーンがあったがドーベルマンはいなかった。
「こんな状態で長距離移動ができるはずないだろ! ほら見ろ、押し込められたパトリックだって困った顔して可哀想だ?」
犬と荷物をぎゅうぎゅうに詰め込んだフィアット500の前で、中年の東洋人が特殊部隊員のような恰好をした若者相手にギャーギャーまくしたてる。このコントのような掛け合いを、防弾仕様のランドクルーザーや迷彩塗装のシボレーSUVの前で出発準備中の欧米のジャーナリストや軍人たちが笑いながら見ていた。怒鳴ったことでスッキリして気持ちが落ち着いたが、既に私のカメラバッグや防弾ベストは犬の毛と涎まみれになっていて悲しい気持ちになった。
「そういえばマムカからこれを預かっていたんだ」
と、車のダッシュボートから取り出したA4サイズの固い紙を差し出した。それはジョージア部隊の訓練終了証明書で私の名前とマムカ司令官のサインが入っている。手裏剣の腕を見込まれたのだろうか? ウクライナに取材に来たはずが、いつの間にか義勇兵にされていた。
気を取り直して狭い助手席に詰め込まれて我々は出発した。キーウ中心地を抜けて東へ延びる幹線道路をひたすら走る。屋根を全開にすると風が狭い車内の獣臭を追い出し、太陽の光を浴びながらのドライブは気持ちが良い。フィアット500はいつか乗ってみたい車だったが、まさかこれで戦場へ行くことになるとは思わなかった。リシェットはスマートフォンを忙しなく操作してロック、ヒップホップ、ウクライナ軍歌がランダムに大音量で流れる。
「YOASOBIを知ってるだろ?」
初めて聞く名前だったがマウントを取られるのも癪なので「北欧系は聞かない」と知ったかぶりをすると、リシェットは鼻で笑い最近気に入っているという『夜に駆ける』を流した。
「この歌手は日本語が上手だね!」
「彼女は日本人だよ」
音楽に関してぜんぜん話が?み合わないのはジェネレーション・ギャップか。
“一体、俺は何処へ向かっているのか?”。頬が犬の涎でベトベトになりながら自問自答した。ウクライナへ来てまだ3日しか経っていない。