6号機の外観。この場所は海抜12mと比較的高台に位置している
新潟県・柏崎刈羽原子力発電所は1985年の運転開始から今年で40年を迎える。現在7基の原子炉すべてが運転停止中だが、6号機の再稼働に向けた準備が進められ、技術的な最終段階を迎えている。通常は公開されていない施設内を写真と共にレポートする。
生体認証と手荷物検査の厳重警備
日本海に面した柏崎刈羽原子力発電所は、新潟県のほぼ中央、柏崎市と刈羽村にまたがる土地にある。総面積は約420万平方メートル。全7基のうち、1~4号機が柏崎市に、5~7号機が刈羽村に位置する。東日本大震災時は、定期検査を行なっていた原子炉を除く1、5、6、7号機が運転中だったが、順次停止し、翌年3月に6号機を止めた時点で全基停止となった。
現在、再稼働を見据えて準備を進めるのがこの6号機だ。10月末に出る県民意識調査の結果をもとに、新潟県の花角英世知事が11月以降に判断を下すとしている。今回、その柏崎刈羽原発の6号機の内部を取材した。
上越新幹線の長岡駅を降りて車で約40分。片道一車線の国道352号に入ると、柏崎刈羽原発の正面入口が見えてくる。
施設に入るには複数のチェックを受ける必要がある。高精度の金属探知機があり、腕時計などの金属類は持ち込めず、ズボンのベルトもプラスチック製に付け替える。情報漏洩を防ぐため、携帯電話などの通信機器の持ち込みも不可だ。専用のバスで正面入口に向かい、係員がバス内で持ち物検査を行なう。
2021年に東電社員が他人のIDカードを使って施設内に入っていた不祥事が発覚し、以降チェックはさらに厳しくなった。施設内の各所に生体認証が複数設置されている。
新潟県刈羽といえば、田中角栄の出生地として知られる。角栄は生まれ故郷のことを次のように書いている。
「私は新潟県刈羽郡二田村に生まれた。(中略)私の村は、海岸線に沿った小高い山並みと、柏崎から長岡に続く山並みとの間にある小さな平和な村だった」(『私の履歴書』日本経済新聞社、1966年)
角栄が総理を務めた1974年6月、発電所の受け入れ地域に対する支援を目的とした「電源三法」が成立した。その1か月後、柏崎刈羽原発1号機の設置が認可された。工事は1978年に始まり、1985年には運転を開始した。