第51代IWGPヘビー級王座に輝いた
緊急搬送…そして全身麻痺
──人気絶頂だった44歳のとき、2011年6月4日の地元・京都大会でジャーマンスープレックスを受けて、頸椎を損傷する大ケガを追いました。そのまま病院に緊急搬送され、当初は全身が麻痺した状態だったそうですね。
「『ジャーマン・スープレックス』でリングに叩きつけられて、記憶が飛んだことがあって。その時、多分どっかに行っていたんでしょうね。首を痛めて、30秒くらいは“上”にいたかもしれないです(笑)。戻ってこれたんでよかったですけど」
──30秒も?
「そのまま担架で運ばれて、痛さはもはや覚えていませんね。病院に行くまでの救急車の中で、身体が少し動き出したので『これは大丈夫かな』と思いました」
──現役復帰も絶望的だったんでしょうか。
「一番の原因は長年、首の鍛錬をしていなかった自分の責任です。自分の負傷でプロレス業界、後輩や会社にもほんまに迷惑かけました。最初は手術を回避する治療方法を模索していたんですが、東京の病院で手術をしたのは、ケガをしてから4カ月後でした」
──どうでしたか?
「首の手術は2~3時間ほどかかりました。長年、首が狭窄症という形で、延髄で骨が圧迫されている状態だったので、手術できれいに問題箇所を取ってもらって、筒の中にちゃんと延髄を入れてもらいました。今も痺れるときはありますけど、日常生活は大丈夫ですし、まだまだ走れます」
──約1年半のリハビリ期間を経て、2012年10月に492日ぶりに新日本プロレスのリングに復帰して、カムバックを果たしました。しかし、2020年に突然、引退を発表されました。
「手術から9年間、受け身がちゃんとできなくなったんです。自分の身体をケアしながらの試合しかできず、パフォーマンスとして本当にお客さんに対しても申し訳ないし、試合相手に対しても申し訳ないし、迷惑かけましたね。
会社と話し合い、引退を決めました。他の団体でというのは考えてなかったですね、自分は新日本に憧れて育ててもらい、いまだに契約していただいていて、恩返しをしたいっていうのがあります」
──いつまでプロレスラーを続けたかったですか?
