『王様の耳 秘密のバーへようこそ』全6巻/えすとえむ
【書評】『王様の耳 秘密のバーへようこそ』全6巻/えすとえむ/小学館
【評者】三浦天紗子さん(ライター・ブックカウンセラー)
「秘密」を買い取ってくれるバーがある。そう聞いてそそられない人はいないはず。知る人ぞ知る店の名は「王様の耳」。それがまんま、えすとえむさんの魅惑的な作品のタイトルにも援用されている。
ギリシア神話に由来するという「王様の耳はロバの耳」はよく知られたお話で、「人の口に戸は立てられぬ」=秘密を抱え続けること、隠し通すことは難しいというメッセージが込められている。噂を耳にしてこのバーを訪ねた客は、〈ガイダロス〉というカクテルを注文するのがお約束。オーナーの鳳麟太郎が、客が売りたい秘密の値段を査定する。買い取ったその秘密は液体になってフラスコに集められ、彼の栄養源となるというのが謎めいている。
バー「王様の耳」オーナー・鳳麟太郎のイケオジぶりに胸キュンしたという声も
そんな麟太郎の片腕となるのが、シバケンことアルバイトバーテンダーの柴健斗。雰囲気も立ち居振る舞いもダンディで陰のあるオーナーと対照的に、裏表のない好青年キャラとして読者を魅了する。陰と陽の対照的なふたりの丁々発止が小気味いい。
最初のころは、ダブル不倫や政治家の隠し子騒動の真相、はたまたインドに残してきた妻子への思いや少年犯罪捜査の後悔など、赤の他人のスキャンダルを垣間見る背徳感を楽しむオムニバスとして進んでいた本作。だが、2巻の終わりあたりから、俄然、シバケンを巡る不穏な空気が強くなっていく。
オーナーから〈君からは秘密の匂いがしない〉と言われたシバケンだが、ぽっかりと失った記憶と封印してきた過去がある。その失った何かは、バーの常連客であり、有名なニュースキャスター・滝口あかりと関わっているらしいことも徐々に明らかになる。
麟太郎はあかりが語るのはホラ話ばかりだと知りつつ、彼女が発する〈大きな秘密を抱える者だけの〉〈抗えない強い香り〉に誘惑され、話を聞き続けるのだが、なかなか核心にたどり着けない。その一方で、心にブレーキをかけつつも、あかりに惹かれていくシバケン。恋の行方と彼らの未来は祝福か破滅か、固唾を呑んで見守っていたその先に──。
「12年前、君はどこで何を?」と問われたシバケンは…(2巻より)
完結巻となる第6巻を読み終えたとき、最大の謎だった麟太郎の正体に思わず膝を打った。1巻から緻密に張り巡らせた伏線という手札が見事に揃い、魔術を見るかのような鮮やかなエンディングである。「王様の耳」に登場するロバの耳を持つ王様は実はもう一つの物語を持っているというのがヒントだが、えすとえむさんが用意したのはその上をいく仰天の仕掛け。そうかあ、麟太郎は○○○で、麟太郎と同様、秘密が好物の女占い師は○だったのかあ、と驚きと微笑ましさが入り交じった。
官能的なタッチに定評のあるえすとえむさんだが、このミステリアスなストーリーは、その魅力を活かす最高の舞台だったのではないか。各章のタイトルがストーリーに関わるカクテルの名前になっている演出も心憎い。また、店の中を覗くようなシースルーの小窓があしらわれた黒地のブックデザインは、紙のコミック版だけのもの。そのまま物語の世界に吸い込まれていきそうになる。
※女性セブン2025年11月13・20日号


