オグリキャップとはいかなる存在だったのか(時事通信フォト)
中央競馬の1年を締めくくる有馬記念では、1956年の創設以来、さまざまな忘れられないレースが行われてきた。そのなかでも、1990年の同レースで有終の美を飾ったオグリキャップはいまも伝説として語り継がれている──。(文中敬称略)
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そらで出てきた。
「17万7779人。今でも覚えてるんですよ」
フジテレビの元アナウンサー、大川和彦がすらすらと思い出す。
時はバブルのまっただ中。1990年12月23日、中山競馬場で開催された有馬記念にそれだけの客が押しかけた。1階のメインスタンドは人の頭で真っ黒に染まり、あまりの密度に危険すら感じさせる光景だった。
レースの主役は地方競馬から成り上がった「芦毛の怪物」、オグリキャップだ。非エリートが良血馬を次々となぎ倒していく姿に日本中が酔いしれた。中央に移って3年目、この年の有馬記念は、そのオグリキャップの引退レースだったのだ。
入場者数に関してはこんな裏話がある。当時、JRAの1年生職員としてスーツ姿で場内の警備に当たっていた元柔道家の小川直也の証言だ。
「門を閉めていたんですけど、3時ぐらいにまた開けたんです。メインレースが終わったら帰る人が殺到するので。でも、入れず外にいたお客さんが場内になだれ込んできた。だから18万人は超えていたと思います」
この日の主役は4番人気だった。倍率は5.5倍。この数字も相当な「贔屓票」が影響していたと思われる。というのも前々走は6着、前走は11着と大敗していたのだ。大川も「オグリ限界説」が支配的だったと話す。
「闘志がなくなってしまったように見えましたね。だから、引退せざるを得ないんだなという雰囲気で。僕も馬券は買っていませんでしたから」
