大原麗子さんが40歳のときに3億円で購入した豪邸(遺族提供)
「当時は深夜のテレビ通販番組が流行り、多くのタレントさんが出演していました。もし仕事を引き受ければ食べるのに困らないくらいのギャラはもらえたはずなのに『絶対やらない。私は女優だから、イメージを守りたい』と頑なでした。
大河ドラマも多数の作品に出演しましたが、1週間のうち4日間スケジュールが取られると、他の仕事はできなくなります。しかも姉は自ら、メイクさんをはじめ、スタッフを雇っていたので、赤字になることも少なくありませんでした」
政光氏によると、当時話題だったアニメ監督の作品から声優としての出演オファーもあったが、大原さんは『私は声優じゃないから』『自分の信念を曲げたくない』と、断ったという。それほど女優としてのこだわりやプライドが強く、“生涯女優”を貫こうとしていた。
そして、運命の日が訪れてしまう。2009年8月6日──世田谷の自宅で変わり果てた姿の大原さんが発見された。女優復帰を目指していたなかでの無念の死だった。
続編では、政光氏が姉を部屋で発見したときの情景、税金を滞納していた晩年の生活、苦渋の決断だった豪邸売却などについて語っている。
(後編につづく)
