被告人は高校卒業後、職業を転々とし、事件当時はキャバクラ店に勤めていた
「やらないなら出てけ」
検察官はAさんに質問しながら、事実確認を進めた。以下はやり取りの内容を時系列に沿ってまとめたものである。
令和6年9月、乳頭を切られたとされる事件が起きる。被告人はAが自ら切断した旨の主張をしている。
Aによると、被告人が「(友人との会話で話題に出た)乳首は切っても治るらしいから切りたい」と言ってきたという。当然断るものの、「やらないなら家を出てけ、別れる」、「やらないなら私を好きじゃないよね」などと言われ、渋々許可した。
Aとしては、スマートフォンや現金を取り上げられ、知人は被告人によって関係を解消させられた人物も多かった。「私がいないと生きていけないよ」などと言われ続けたことから、家を追い出されるよりマシという考えに陥ったのだという。
その後、血が出たらすぐ洗い流せるように、そして汚れないようにという理由で、全裸で浴室に促される。Aが浴槽の中、被告人が洗い場に向かい合うようにして立っていた——。
第2回記事では、Aさんが語った「乳首切断」の恐怖、さらに別途切断した指に関して佐藤被告が行なった「とんでもない処理方法」について詳報する。
●取材・文/普通(裁判ライター)
