ここで、直隷派の馮国璋が失脚し死亡した。簡単に言えば、段祺瑞との権力抗争に敗れ中央から追放されたのだ。つまり、この時点では「安直戦争」ならぬ「安直政争」の勝者は段祺瑞だったのだ。寺内内閣の思惑どおりである。日本は馮国璋より段祺瑞のほうが一枚上手と見ており、だからこそ西原借款でバックアップしたのだ。ここまでは大成功である。ところが、ここから先が日本にとってじつに皮肉な展開になった。馮国璋の跡を継いだ曹コン(かねへんに“昆”)が優秀な男であり、かえって直隷派が強化されることになったのだ。
先に安直戦争を日本の関ヶ原にたとえたから、ここでも「関ヶ原の戦い」を使って説明しよう。東軍の大将は徳川家康だったが、西軍の事実上の総大将石田三成はコーディネーターとしては優秀だが、戦争はまるで下手だった。しかし、もし関ヶ原の戦いの直前に石田三成が失脚し、代わって大谷義継や真田昌幸が西軍の指揮官の地位になっていたらどうか?
少なくとも、関ヶ原だけで決着がつくということは無かったはずだ。軍事指揮官としては、大谷や真田のほうが石田三成よりはるかに優秀だからである。この安直戦争において「日本にとってじつに皮肉な展開」と言ったのはそこのところで、「総大将」としては段祺瑞に惨敗した馮国璋が引退したおかげで、より優秀でじゅうぶんに段祺瑞に対抗できる曹コンがリーダーになることができたわけだ。
ここで、曹コンの経歴についても紹介しておこう。
〈そうこん【曹コン】
Cao Kun
字:仲珊
1862.12.12[同治1.10.21]~1938.5.17
中国の軍人、北洋軍閥の政治家。
直隷天津(現、天津)に生まれる。少年期から布の行商に従事。淮軍に入り [1882:光緒8] 、天津の北洋武備学堂で学ぶ。袁世凱の支配下で有力軍人となる。民国に入り南方の革命派と対峙、袁の帝政実施を支える。軍閥の混戦期に直隷派軍閥として権勢を揮う。大規模な国会議員への買収工作(賄選)により大総統に当選 [1923] するも、第2次安直戦争に敗れて失脚。北伐の圧力で引退。日中戦争期、日本軍の協力要請を拒絶。天津で病死。【文献】民国人物伝1。〉
(『岩波 世界人名大辞典』岩波書店刊)
この『岩波 世界人名大辞典』は前出の『日本人名大辞典』と異なり、中国人の名の英文表記があるのがありがたい。英語論文などを調べるときに便利だからだ。また、『日本人名大辞典』には掲載されていない、王士珍などの項目もある。だからたびたびお世話になっているのだが、ここは歴史家としてぜひとも指摘しておかねばならないことがある。
この曹コンに関する記述には、重大な過ちがあるということだ。私が見ているのは同書の電子版(2025年12月現在)だが、本書が印刷物として刊行されて以来、いや、それ以前から現在まで何十年にもわたり執筆者や編集者、校正者、それに学者が目をとおしているはずなのに、なぜ間違えたままなのか? しかもそれは、関ヶ原にたとえれば「徳川家康は関ヶ原で敗れた」とするぐらいの大きなミスなのである。
(第1478回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2026年1月16・23日号