作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十六話「大日本帝国の理想と苦悩」、「大正デモクラシーの確立と展開 その12」をお届けする(第1477回)。
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前回の終わりに、「日本は安徽派、直隷派、奉天派の中華民国三大軍閥のうち、段祺瑞の率いる安徽派と関係強化を望み、当時の寺内正毅内閣が膨大な資金を提供したが大失敗に終わった」と述べた。
じつは、この資金提供自体についてはすでに書いている。先月発売になった『逆説の日本史 第二十九巻 大正暗雲編』の第二章「『満蒙独立』と『シベリア出兵』の挫折」のなかで触れている「西原借款」である。寺内首相が、私設秘書であった西原亀三をとおして段祺瑞に与えたのは、当時のカネで一億四千五百万円にも上った。だが、それだけのカネを投じたにもかかわらず、段祺瑞の安徽派は中華民国を支配できず、それどころか没落してしまったのだ。
なぜそうなったのかという詳しい経過は、この第二十九巻では触れていない。満蒙独立運動、シベリア出兵、そして尼港事件という重要なテーマの分析に入ったからだ。この三つのテーマに共通しているのは、ソビエト連邦と日本の関係である。そのため日中関係のほうは後回しになったわけだが、ここで詳しく解説することにしよう。
話は、孫文が辛亥革命を成し遂げた人々によって迎えられ、中華民国初代臨時大総統に推戴された一九一二年の元旦にまでさかのぼる。この時点で日本は、まだ明治四十五年だ(7月に大正と改元)。そして祀り上げられただけでなんの軍事力も持っていなかった孫文は、袁世凱に臨時大総統の座を与えることを条件に、中華民国を完全な民主国家にすることを約束させた。
しかし「同床異夢」とはこのことで、袁世凱は孫文が夢見た「民主国家 中華民国」は確立させず、民主派を弾圧し皇帝になる夢を抱いていた。ただ、すぐにはその野心を露わにせず、まず国をまとめることに専念した。清の最後の皇帝宣統帝(愛新覚羅溥儀)を軍事的に威圧して退位させ清朝を完全に滅ぼすと、あくまで民主的な国家を築くポーズをとっていた。
それは一刻も早く中華民国を諸外国に国家として認めさせ、その名義で諸外国から多数の借款を得て、将来自分が築く予定の帝国を強化するためだった。ところが、中国初めての総選挙で孫文の国民党が大勝した。このままでは「民主国家」が成立してしまうとあせった袁世凱は、民主派のリーダー宋教仁を暗殺し独裁体制を強化した。
これに怒った孫文らが第一革命(辛亥革命)に続く第二革命を起こしたのが、翌一九一三年の七月十二日である。だが、第二革命はわずか二か月足らずで袁世凱に鎮圧された。そもそも孫文は軍事的実力が皆無に等しい状態だったので、中国最大の軍事力を有する軍閥の長であった袁世凱に後を託したのだ。そんな事情だから、この第二革命が成功する見込みはまったく無かった。敗軍の将孫文は、再び日本に亡命した。
