ミズナラの木でできた発酵槽。あたりは蒸しパンのような香りが立ちこめる
未経験者4人でのスタート
そして肥土さんは2007年、生まれ故郷である埼玉県の秩父に秩父蒸溜所を建設した。私は、そこで、最初の1滴がポットスチルから落ちるときを取材した。雑誌はプレジデント社の『dancyu』。笹の川酒造に原酒の管理に行く肥土さんにも同行したし、秩父蒸溜所の取材時には、秩父駅前のホテルに前泊し、万全を期して出かけた。
スコットランドのエドラダワー蒸留所では3人でウイスキーを造っていたらしいけれど、秩父蒸溜所は、このとき4人だった。日本酒バーのカウンターに立っていた人、大学の醸造家を卒業するからぜひとも入れてくれとメールしてきた人、いずれも若手で未経験者。そして軽井沢の蒸留所でウイスキー造りに長年携わってきたベテランが一人いて、あとは社長の肥土さんだけ。肥土さんとて、ウイスキー造りをするのは初めてなのだ。
今でこそ、クラフトウイスキーとかマイクロディスティラーとか言うけれど、この時見た秩父蒸溜所は、本当に小さかった。ひとつの建屋の中に、麦芽の粉砕から糖化、発酵、蒸留までの工程がぎゅっと詰まっている。他に麦芽を乾燥させるキルン塔やウエアハウスがあるのだが、そのひとつひとつを、肥土さん自らが案内してくれた。
「蒸留の最初に出る液と最後に出る液を除いて中間を取るんです。このあたりは、蒸溜をしながら、担当者が自らの官能で確かめ、選別していく」
小さなポットスチルで今まさにウイスキーの蒸留が行われている。その目の前で、こんな話を聞けることがなにより嬉しかった。
「これを樽に詰めて熟成させて、ウイスキーができあがります」
肥土さんがそう言うのを聞きながら、私は咄嗟に次の質問をしていた。
「30年ものが飲めますかね」
16年前。私は47歳であり、肥土さんは45歳だった。30年もののウイスキーというのは文字通り、樽の中で30年以上熟成させた原酒を、そのまま、あるいは30年以上熟成のもの同士で混ぜたウイスキーを指す。つまり、秩父蒸溜所で造られた30年ものを飲むには、最短でも、私が77歳、肥土さんが75歳になっている必要がある。
「飲みたいですねえ、30年もの。そのときはぜひ一緒に飲みましょう」
肥土さんは晴れやかな表情でそう言った。
なんという男だろう。30年先に飲む格別な1杯に、人生を賭けているではないか。
その思いを胸に、埼玉県の創業支援事業の担当者や、融資を依頼する金融機関の担当者にウイスキーの売れない時代に蒸留所を建設するという夢を納得させた。そればかりか、創業メンバー4人のうち2人は素人という布陣で、本場に負けないシングルモルトを造るという長い旅に出た。
