悠仁さま一覧/3ページ
【悠仁さま】に関するニュースを集めたページです。

愛子さま、バイデン氏御所訪問にお姿なく 雅子さまが思い描くデビューのタイミング
成年にまつわる行事と会見を通じて、愛子さまへの国民の期待は一層高まった。それを陰ながら支えられたのは、母である雅子さまだった。しかしそれから、愛子さまのお姿を目にする機会はない。「アメリカ大統領来日」という大きなトピックを控えて、雅子さまが巡らせた思いは──。 天皇ご一家のお住まいである皇居・御所。5月23日午前10時、その玄関に「誰」が姿を見せられるのか──そこに密かな注目が集まっていた。「愛子さまは昨年末に成年皇族となられましたが、実はそれから一度も表立っての活動をされていません。愛子さまの成年皇族としての“デビュー”がいつか、皇室関係者もメディアも固唾をのんで見守る状況が続いていたのです。愛子さまの英語力は、陛下と雅子さま譲りで、大変流暢に話されるそうです。ならば、その日が“デビュー”にぴったりではないかと期待されていました」(宮内庁関係者) その前日の5月22日、米軍横田基地(東京都福生市など)では、軍用機などを一般公開するイベントが開催され多くの見物客で賑わっていた。夕暮れ時、水色に輝く巨大な機体が滑走路に降りてきた。人々が一斉にカメラを向けたのは、“空飛ぶホワイトハウス”の異名を持つ大統領専用機「エアフォース・ワン」。タラップを下りてきたのはジョー・バイデン米大統領だ。 翌23日朝、バイデン氏が大統領専用車「ビースト」で向かったのは御所。前述の通り、詰めかけたメディアの密かな関心は、玄関で雅子さまと愛子さまが出迎えられるのか、ということだった。その日は雅子さまにご公務の予定はなく、平日なので大学の講義をオンラインで受けられている愛子さまも、御所内にいらっしゃるはずだった。しかし、玄関に立たれたのは天皇陛下おひとりだった。 10年前、それぞれ皇太子と副大統領という立場で顔を合わせられた陛下とバイデン氏。今回は2度目の懇親だった。「車から降りたバイデン氏の『ハロー』という声かけに対し、陛下は笑顔。通訳を介さず英語でバイデン氏と挨拶を交わされました。『多忙な滞在日程の中で、最初に御所にお越しくださり、感謝します』『再びお会いできてうれしく思います』とおっしゃる陛下に、バイデン氏は『御所にお招きいただき光栄に思います』と返したそうです。 お出迎えはされなかったものの、御所は雅子さまと愛子さまのお住まい。陛下との会見の前後に、おふたりが挨拶されるタイミングがあるかもしれないとみられていました」(皇室記者) 会見は、御所の小広間で30分にわたって行われ、開始早々に笑い声が上がるなど、打ち解けた様子だったという。「話題は、日米両国の友好親善関係への願いから、バイデン氏の2011年の東日本大震災の被災地訪問への謝意、コロナ禍と多岐にわたったそうです」(前出・皇室記者) しかし、最後まで雅子さまと愛子さまがバイデン氏の前に姿をお見せになることはなかった。会見を終え、玄関先でバイデン氏を見送られる際、陛下は「次回は皇后を交えてお会いしたいですね」と伝えられたという。 2019年、当時のトランプ大統領夫妻が国賓として来日した際は、両陛下が接遇にあたられた。「雅子さまは、メラニア夫人の故郷の文化を深く理解した挨拶をし、家族の話題で打ち解けるなど、類い稀なる“外交力”を発揮されました。ネイティブ並みの英語を操る雅子さまにトランプ夫妻は驚嘆したといいます。 今回、コロナ禍の影響もあり、バイデン氏は夫人を伴わずに来日。『1人の来客にはおひとりでのご対応』という通例を踏襲した形になったといいますが、過去にはオバマ大統領が夫人を伴わずに来日した際に、当時の両陛下(上皇ご夫妻)が接遇されたこともあるので、雅子さまと愛子さまが面会されることもあり得たはずです。 愛子さまのお目見えにはとっておきの機会とみられたのですが、そうならなかった理由には、両陛下のより深く、緻密なお考えがあったようなのです」(前出・宮内庁関係者)アメリカと沖縄、天皇家の思い 愛子さまは3月に行われた成年に際しての会見で、視線を手元に落とすことなく、記者一人ひとりと目を合わせてお言葉を述べられた。そのなかに、「一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたい」というお言葉があった。「女性皇族が結婚後も皇室に残るかどうかに関する議論はまだ結論が出ていません。ただ、秋篠宮家の長男・悠仁さまが即位される頃には、同世代で天皇を支える皇族が極端に少なくなることを踏まえると、女性皇族が何らかの形で結婚後も皇室に残るような制度になることは、ほぼ確実視されています。 愛子さまの『できる限り両陛下をお助けしたい』というお言葉は、天皇家の長子としての責任感の強さを感じさせるもので、事実上の“生涯皇族”の宣言とも解釈できるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト) 強いご覚悟で成年皇族としての歩みを始められた愛子さまの“第一歩”が、果たしてどのタイミングであるべきか、両陛下は慎重に見定めてこられたという。「1つは学業とのバランスでしょう。愛子さまは成年皇族になられたとはいえ、まだ大学生です。現代の皇族にとって、社会との接点となるライフワークの研究分野を開拓されることはとても大切なことです。公務や行事が忙しくなり、学業がおろそかになれば元も子もないのです。 もう1つは、この“デビュー”にあたる行事が、愛子さまの長い皇族人生では何度も繰り返し注目され、それが世間の愛子さまに対する強いイメージになるということです。世界平和を希求されるお立場からすれば国際親善の場はふさわしいのかもしれません。ただ、それがアメリカの政治リーダーとの挨拶の場面でいいものなのか、雅子さまはそう疑問を抱かれたのかもしれません」(皇室関係者) 奇しくも、バイデン氏の御所訪問の2日後の25日に、日本とアメリカにとってゆかりの深いイベントに天皇家が参加される予定があった。沖縄がアメリカから日本へ返還されて50周年を記念する特別展「琉球」(東京国立博物館、台東区上野)での公務である。 両陛下は5月15日、オンラインで沖縄復帰50周年記念式典に出席された。陛下はご挨拶で、中学1年生のとき、本土復帰のニュースをご両親とご覧になったというエピソードを明かされ、「沖縄にはいまなおさまざまな課題が残されています」と語られた。「陛下は今年のお誕生日会見でも沖縄に言及されました。日本国民の統合の象徴として、天皇陛下は、一時はアメリカの統治下にあったという複雑な歴史を持つ沖縄に心を寄せられてきました。それは雅子さまもご一緒でしょう。 愛子さまの成年皇族としての“初仕事”がバイデン氏へのご挨拶でいいのか、それとも沖縄への思いを表現するものであるべきか。雅子さまも悩み抜かれた上での決断だったのではないでしょうか」(前出・皇室関係者) 国民と共にあるとはどのようなことか。雅子さまはこれからも、愛子さまにお伝えになっていくことだろう。※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.26 07:00
女性セブン

悠仁さま、最寄り駅近くで送迎車降りて徒歩通学 「特別扱い求めない」ご意向か
登校中の高校生の集団を、つかず離れずの位置で見守る警護たち──。秋篠宮家の長男・悠仁さま(15)が4月に筑波大学附属高校(筑附)に入学して以来、最寄りの護国寺駅近辺では毎朝こんな光景が見られている。「悠仁さまは駅近くで送迎車を降り、電車通学する他の生徒に交じって徒歩で学校まで向かっています」(宮内庁担当記者) この光景は、皇族の通学としては珍しいものだという。「基本的に校門前に送迎車が付くものです。学習院に通う愛子さまもずっとそうしていますし、悠仁さまもお茶の水女子大附属中学に通っていた時は裏門に直接送迎車を付けていました。眞子さんや佳子さまがICU(国際基督教大学)に通学していた時は、送迎車で正門を通り抜けてキャンパス内まで入っていました」(同前) 警備の面を考えれば、悠仁さまも公道を一人で歩く時間が少ない方が良いはず。なぜこうした形を取っているのか。別の宮内庁担当記者が語る。「ひとつは学校の構造上の問題でしょう。筑附は住宅街に囲まれており、裏門がありません。そして中高が同じ校舎で、正門から毎朝1300人近い在校生が一斉に登校してくるため、送迎車を停止させていると他の生徒に迷惑をかけてしまう」 文京区大塚にある筑附は、かつて石川啄木や安部公房らが住まいを構えた小日向の住宅街と隣接しており、学校関係者の流れが正門のみに集中する。その構造を悠仁さまが気にしていたのではないかと、この記者は続ける。「一人だけ車登校していると、どうしても目立ってしまう。悠仁さまは特別扱いを求めず、他の生徒と同じ環境で過ごしたいという意向を持っていたようです。 そのこともあり、せめて最寄り駅から歩くことを選択したのではないでしょうか」 筑附に悠仁さまの通学について聞くと、「保護者などによる通学時の送迎については特段の定めはありませんので、どのようにされるかはご家庭の判断になります」(担当者)との回答だった。 皇位継承者は、通学ひとつにも苦労がある。※週刊ポスト2022年6月3日号
2022.05.23 16:00
週刊ポスト

【動画】悠仁さま「校内でも常に警護」他の生徒と馴染める日は?
筑波大学附属高校に入学した秋篠宮家の長男・悠仁さま。 内部進学組が3分の2を占める筑附では、高校入学組は溶け込むのに時間がかかると言われていますが、悠仁さまはどう過ごされているのでしょうか。 宮内庁担当記者によると「悠仁さまもクラスに馴染もうとされていますが、校内でも常に警護が付いているので、生徒たちの間でもまだ少し戸惑いがあるようです」とのこと。 6月と7月に開催される校内イベントが、クラスメイトとの距離をぐっと縮める機会になりそうです。【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2022.05.22 07:00
NEWSポストセブン

沖縄本土復帰50周年 昭和、平成、令和と皇室で受け継がれる沖縄への祈り
沖縄県が本土に復帰してから、5月15日で50年。その節目に合わせて行われた「沖縄復帰50周年記念式典」に天皇皇后両陛下がオンラインで出席された。「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』の思いを深められたと伺っています」 天皇陛下は式典で“命こそ宝”という意味の方言を用いながら、沖縄の人々へお言葉を寄せられた。「忘れてはならない4つの日」の1つに、沖縄慰霊の日(6月23日)を掲げるほどに、皇室にとって沖縄は思い入れの深い場所でもある。次ページからは、昭和・平成・令和と受け継がれてきた、沖縄への「祈りの歩み」を振り返る。【昭和天皇・香淳皇后】 いまから50年前の1972年5月15日、東京・日本武道館で行われた「沖縄復帰記念式典」に出席された昭和天皇と香淳皇后。沖縄訪問を悲願としていた昭和天皇だったが、体調を崩されその願いは叶わず。「祈りの旅」は上皇陛下へと受け継がれることとなる。【上皇ご夫妻】 本土返還から3年後に上皇ご夫妻が初めて沖縄を訪問された。戦争での遺族も多く複雑な感情の残る時代だったが、ご夫妻は“たとえ石を投げられたっていい”と沖縄入りを決めたという。「ひめゆりの塔」で献花された際、過激派の青年がご夫妻に向かって火炎瓶を投げつける事件があったが、退避され事なきを得、以後も現地の施設訪問を続けられた。 前年に「ひめゆりの塔事件」がありながらも、ご夫妻は翌年も続けて沖縄入りを果たされた。写真は沖縄海洋博覧会の閉会式の折に、伊江島芳魂之塔で黙祷を捧げられた際のもの。 沖縄・糸満市にある「沖縄平和祈念堂」を訪問され、歓迎の人たちにお言葉をかけられるご夫妻。10年にわたって訪問を続けられ、現地の人の受け入れ方にも変化が見て取れる。「沖縄平和祈念堂」を訪問された際、体調を崩され訪問が叶わなかった昭和天皇のお言葉を、皇太子(当時)として代読された。 平成の御代がわりを経て、天皇皇后として初めて沖縄を訪問されたご夫妻。名護厚生園(名護市)で入園者に声を掛けられたときの写真や首里城(那覇市)を訪れ、正殿内の「御差床(うさすか)」と呼ばれる御座所をご覧になったときの写真がある。 80才近くになられても沖縄訪問を続けられたご夫妻。糸満市にある「国立沖縄戦没者墓苑」を訪れ、犠牲者に白菊の花をささげられた。遺族らには「お体を大切に」などのお声をかけられたという。 平成の天皇皇后として最後となった沖縄訪問は退位の約1年前の2018年3月のこと。退位の直前まで訪問を続けられ、ご夫妻の沖縄訪問は計11回にも及んだ。【天皇ご一家】 天皇陛下が初めて沖縄を訪問されたのは、1987年のこと。今年5月15日の記念式典では「復帰から15年を経た昭和62年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います」と述べられた。 沖縄が本土復帰25周年を迎えたタイミングで皇太子ご夫妻としてご訪問。おふたりがそろって沖縄を訪問されるのは初めてのことだった。写真は「平和祈念公園」内の「平和の礎(いしじ)」を前に慰霊された際のもの。 皇太子となられてからも慰霊を続けられた陛下。写真は国立沖縄戦没者墓苑で供花を終えられた際のもの。「豆記者」として派遣された沖縄と北海道の小中学生を東宮御所にお招きになり、歓談されたご一家。当時の愛子さまは中学3年生。同世代の記者たちと話し、笑顔を見せられた。【秋篠宮ご一家】 秋篠宮家ご長男悠仁さまは小学1年生のときに、試験休みを利用して沖縄初訪問。沖縄戦で亡くなった24万人超の名前が出身地別に刻まれた「平和の礎」を前に、悠仁さまは「東京都はどこ?」と尋ね、秋篠宮ご夫妻と一緒に探すなど熱心にご覧になっていた。 ご一家で沖縄の地上戦で犠牲になった人々を追悼する「地上戦と子どもたち追悼の集い」(東京・新宿)にご出席。佳子さまは会の終了後、関係者一人ひとりに「ありがとうございました」と話し掛けられていたという。「全国育樹祭」に合わせてご夫妻で沖縄ご訪問。令和の御代がわりを経て、皇嗣同妃両殿下となられてから初めてのことで、現地の豆記者とのご接見や国立沖縄戦没者墓苑へのご訪問も果たされた。撮影/雑誌協会代表取材 写真/宮内庁提供、時事通信社、共同通信社※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.20 11:00
女性セブン

悠仁さま“自由な選択”を尊重し、バドミントン部に入部か 帝王学への不安も
提携校進学制度を利用しての進学、作文コンクールの入賞作品における“コピペ疑惑”など、高校受験と前後して議論が巻き起こった秋篠宮家の長男・悠仁さま。筑波大学附属高校に入学されてから約1か月──。「悠仁さまはバドミントン部に入部されるそうです。皇室に縁のあるスポーツといえばテニスのイメージが強いですが、悠仁さまは“皇室の伝統”とは趣を異にした競技を選ばれました。ここにも、自由な選択を尊重する秋篠宮家の教育方針が感じられます」(宮内庁関係者) お住まいのある赤坂御用地には、4月下旬、上皇ご夫妻が新居に移られた。上皇陛下から悠仁さまに「帝王学」を授けられることへの期待の声もあるが、現状では難しいという。「通学で日々外出されている悠仁さまから、万が一新型コロナを上皇ご夫妻に感染させることがあってはならないからです。また、上皇陛下と悠仁さまの年齢差は73才です。時代が違えば、世間が皇室に求めるものも変わります。ですから、“悠仁さまは、天皇皇后両陛下からさまざまなことを学ばれるのがいいのではないか”という声が高まっています」(前出・宮内庁関係者) しかし、実現のためにはハードルがある。5月19日、紀子さまと雅子さまが参加される予定の全国赤十字大会(東京・渋谷区)が開催。2月の天皇誕生日の祝賀以来、3か月ぶりの公式な場でのご対面となる。振り返ると、療養中の雅子さまは、皇后になられる前年の2018年、実に15年ぶりに全国赤十字大会に出席された。「体調が優れず、長く、宮中行事や公務へのお出ましがない時期が続いていましたが、このときにはしっかりとその役目を果たされた。壇上で美智子さまからお声がけをされ、名誉総裁の座を“公開禅譲”される一幕もありました。2020年には18年ぶりに宮中祭祀にも臨まれ、着実に快復の道を歩まれています」(皇室記者) 一方の紀子さまは、あらゆるお出ましで“パーフェクト出席”をされてきた。「紀子さまは、雅子さまの不在時には自分が頑張らなくてはという強い使命感をお持ちだったようです。2006年の悠仁さま誕生後からはよりいっそう、将来の天皇の母としての誇りと自信を胸に、公務に臨まれてきたといいます。 それゆえ、雅子さまのお出ましが増えたいまでも“雅子さまに頼り切りではいけない”というお気持ちと同時に、雅子さまの体調がいつ逆戻りしてしまうかわからない、という不信にも似たお気持ちがあるようです」(皇室関係者) それが、ひいては両陛下と秋篠宮家のコミュニケーション不足に影響しているのではないかと危惧する向きもある。「次男である秋篠宮さまは、天皇になる前提で教育を受けられてきたわけではありません。このまま、陛下からの薫陶を受けられずに悠仁さまが天皇に即位する日が来たら、天皇としてのなさりように悠仁さまが戸惑われることも起こりうる。“独自の教育方針”を貫かれるだけでなく、悠仁さまの教育について紀子さまから雅子さまにご相談なさってほしいと感じている皇室関係者は少なくない」(別の宮内庁関係者) 紀子さまは大きな選択を迫られている。※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.19 07:00
女性セブン

悠仁さま「校内でも常に警護」 筑附名物行事中止で遠のく「高校デビュー」
秋篠宮家の長男・悠仁さま(15)が筑波大学附属高校(筑附)に入学してひと月あまり。最寄り駅の東京・護国寺駅付近は毎朝、緊張感が漂うという。「悠仁さまは駅近くで送迎車を降りて、電車通学をする他の生徒と同様に徒歩で学校に向かうんです。その間は警護が付きますから、どうしても厳重な空気になります」(宮内庁担当記者) お茶の水女子大学附属中学に通っていた時は、学校裏門に直接送迎車を付けていた悠仁さま。「高校からは特別扱いではなく、少しでも他の生徒と同じ環境で過ごしたいという悠仁さまご本人の意向もあったようです」(同前) 筑附は中学からの内部進学組が3分の2を占めるため、「旧知の内部組と比べて、高校入学組はクラスに溶け込むのに時間がかかる」(筑附OB)と言われる。別の宮内庁担当記者が語る。「悠仁さまもクラスに馴染もうとされていますが、校内でも常に警護が付いているので、生徒たちの間でもまだ少し戸惑いがあるようです。これまで皇族が通ってきた学習院と違い、筑附の生徒はこうした環境に慣れていないでしょうから」 クラスメイトとの距離を縮める校内イベントが規制されたことも大きかった。 筑附は毎年4月に開成高校とのボート部対抗戦がある。100年の歴史を誇るこの対抗戦は校内の名物行事で、例年多数の生徒が応援に駆け付けるが、今年はコロナで会場応援が中止に。「生徒が一丸となって声援を送り、大きな一体感が生まれる。入学早々、みんなとの距離がグッと近くなるんです。これがなくなってしまったのは痛いですね」(前出・OB) 次のビッグイベントは6月に行なわれる学習院高等科との運動部対抗戦「院戦」と、7月に長野県蓼科高原で開かれる3泊4日のクラス合宿「蓼科生活」の2つ。 悠仁さまの高校デビューの成否が懸かっている。※週刊ポスト2022年5月27日号
2022.05.16 07:00
週刊ポスト

佳子さま 結婚は小室さん騒動の影響で難航必至、「結婚後も皇族」案に不満も
小室圭さんとの婚約準備が最初に報じられたとき、眞子さんは25才だった。すでに佳子さまは、その年齢を超えられている。紆余曲折がありながらも自由の国へ渡った姉の姿は、いまだ皇室というカゴのなかにいる佳子さまの目にどう映っているのだろう──。 眞子さんがニューヨークで暮らし始めて半年。佳子さまは、皇室を離脱した眞子さんから、多くの公務を引き継いだ。しかし、その一方で胸の内には“姉のように家を出たい”という強い願いを秘められているという。原因の1つは秋篠宮ご夫妻との複雑な関係だ。宮内庁関係者がいう。「秋篠宮ご夫妻は、眞子さん、佳子さまに、女性皇族としての自覚と覚悟をしっかりとお教えになりました。一方、お年を召されてからお生まれになった悠仁さまには、特に愛情深く接されてきた。“将来の天皇を預っている”という特別な思いもおありでしょう。時にそれが、“甘さ”になってしまったこともあったようです。 眞子さん、佳子さまに対しては叱責されていたことに関して、悠仁さまに対しては何も言わないというようなこともあったといいます。佳子さまは、年の離れた弟の悠仁さまのことをかわいがられていましたが、ご夫妻の態度には疑問を持たれたでしょう」 女性皇族にとって、皇室を出るスタンダードな方法は「結婚」だ。だが、眞子さんの結婚騒動が尾を引く状況にあって、佳子さまの結婚は一筋縄ではいかないだろう。「佳子さまは周囲への観察力が鋭く、ご判断も慎重です。ご自身の結婚は、国民からの納得と祝福が得られる形で進められるでしょうから、異例の“強行結婚”の眞子さんのようにはならないでしょう。 ただ、“次の天皇家”を担う秋篠宮ご夫妻にとって、国民の信頼はもう裏切れない。石橋を叩いて渡るがごとく細心の注意を払われるでしょうから、仮に立派なお相手が現れても、トントン拍子に縁談が進むとは考えづらい状況です」(別の宮内庁関係者) 仮に結婚されても、皇室との関係を断ち切れるかは不明瞭だ。皇族数の確保は積年の課題であり、昨年12月、政府の有識者会議の最終報告書には、「女性皇族が結婚後も皇室に残る案」が盛り込まれた。「佳子さまは、“結婚後も皇族”という案に不満を持たれていると聞きます」(皇室ジャーナリスト) 実は、結婚を経ずに秋篠宮邸を出る方法もある。例えば、三笠宮家の長女・彬子さまは、皇族のお立場のまま、京都で暮らされている。「京都の大学に職を得られたためです。バス通勤をされるなど、すっかり御用地外での生活に溶け込まれています」(前出・別の宮内庁関係者) また、彬子さまの母・信子さまは、ストレス性ぜんそくの療養を理由に、元宮内庁長官公邸である宮内庁分庁舎で暮らされている。佳子さまには、複数の選択肢が残されているのだ。ただし、秋篠宮邸を出ることができても、佳子さまが秋篠宮家の一員であることに変わりはない。「独立した宮家を創設するわけではないので、新たに皇族費などの予算は組まれません。佳子さまが秋篠宮邸以外の場所に住まれる際には、秋篠宮ご夫妻が納得する理由を見つけなければならないでしょう。 加えて、秋篠宮邸は、現在多額の費用をかけて改築工事を行っています。当然佳子さまの部屋もあります。佳子さまおひとりのご意向で、その宮邸に“住まない”となると、納得しづらい国民も出てくるかもしれません」(前出・別の宮内庁関係者) 眞子さんがいないいま、佳子さままで秋篠宮邸を離れることになれば、「将来の天皇」である悠仁さまを支えるご家族はやがていなくなる。「秋篠宮家、ひいては皇室全体にとって大きな痛手です。佳子さまはそれでも秋篠宮邸を出ることを諦めないでしょう。さながら“乱”を起こそうとされている状況です」(皇室記者) 佳子さまの願いが叶うことはあるだろうか。※女性セブン2022年5月26日号
2022.05.10 07:00
女性セブン

佳子さま、胸に秘める「家を出たい」の思い 自由を手にした眞子さんに触発
ゴールデンウイーク最終盤の5月7日、秋篠宮家の次女・佳子さまが出席される「森と花の祭典─『みどりの感謝祭』式典」(東京・千代田区)が開催された。「佳子さまは昨年5月に全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員として就職されましたが、コロナ禍の影響で週3日の勤務はテレワークとなりました。また、公務にはほぼオンラインで参加され、秋篠宮邸の外に出られない状況が続いていました。佳子さまが国民の前にお姿を見せられるのは、久しぶりです」(皇室記者) 昨年末に27才の誕生日を迎えられた佳子さま。姉である小室眞子さんが昨年10月に小室圭さんと結婚し、皇籍離脱をしたいま、女性皇族として皇室を支える役割への期待はふくらむばかりだ。ところが、当の佳子さまは、胸の内に強い願いを秘められているという。「私も、姉のように早くこの“家”から出たい」──。 眞子さんがニューヨークで暮らし始めてもうすぐ半年になる。眞子さんの夫の小室圭さんが2度目のニューヨーク州の司法試験に不合格となったものの、眞子さんは動じていない。「眞子さんは、世界を代表する美術館のメトロポリタン美術館で活動を開始しました。休日には小室さんと手つなぎでデートを楽しむことも。アメリカでの新婚生活を純粋に楽しんでいるように感じられます」(前出・皇室記者) 海外メディアを筆頭に、日本の元プリンセスへの注目度は高い。それでも眞子さんは、“眞子さま”時代には手に入らなかった自由を謳歌している。「皇室」というカゴのなかから出て羽を伸ばす姉の姿を、日本に残された佳子さまもご覧になっているはずだ。 佳子さまは、眞子さんの担っていた公務の多くを引き継がれた。昨年11月の「みどりの『わ』交流のつどい」の際には、かつて眞子さんが着ていたスーツをお召しになり、姉妹の絆を印象づけられた。「いまも眞子さんとは頻繁に連絡を取られているといいます。皇族の生活から抜け出した解放感も充分に伝えられているでしょう。どのようにすれば望むような生活を送ることができるか“入れ知恵”されているかもしれません。ニューヨークでの姉の生活ぶりに触発され、“自由”を願われることは、皇室を出ることを前提に育たれた佳子さまには自然なことでしょう」(宮内庁関係者)悠仁さまに対しては何も言わない 背景には、秋篠宮ご夫妻との複雑な関係があるという。佳子さまは高校時代からダンスに打ち込まれた。熱中される一方で、ヘソ出しルックでダンスを披露される様子も報じられた。「紀子さまは“皇族にふさわしくない”というお考えをお持ちで、母娘はたびたび衝突されたそうです」(前出・宮内庁関係者) 別の宮内庁関係者は「眞子さん、佳子さまへの教育方針と、悠仁さまへのそれとの違いが原因の1つではないか」と分析する。「秋篠宮ご夫妻は、眞子さん、佳子さまに、女性皇族としての自覚と覚悟をしっかりとお教えになりました。一方、お年を召されてからお生まれになった悠仁さまには、特に愛情深く接されてきた。“将来の天皇を預っている”という特別な思いもおありでしょう。時にそれが、“甘さ”になってしまったこともあったようです。 眞子さん、佳子さまに対しては叱責されていたことに関して、悠仁さまに対しては何も言わないというようなこともあったといいます。佳子さまは、年の離れた弟の悠仁さまのことをかわいがられていましたが、ご夫妻の態度には疑問を持たれたでしょう」(別の宮内庁関係者) 極めつきが眞子さんの結婚にいたるまでの経緯だった。「当初秋篠宮ご夫妻は、小室さんを好青年だと評価された。ところが、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発覚すると、結婚反対に立場を変えられた。長い延期を経て眞子さんの結婚は成就しましたが、姉の後押しをされ続けたのは佳子さまだけだった」(前出・宮内庁関係者) 佳子さまは、2019年に「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」、結婚時には「2人が結婚できたことを嬉しく思っております」とコメントされた。「結婚会見の際には極秘裏に会場となったホテルにまで向かわれたほどでした。眞子さんの結婚問題によって、秋篠宮ご夫妻と姉妹の断絶はより深いものになってしまい、同時に姉妹の結びつきはより強固になった」(前出・宮内庁関係者) 眞子さんのように、佳子さまも“自由”を手にする日は来るか。※女性セブン2022年5月26日号
2022.05.09 07:00
女性セブン

愛子さま、大学生活を犠牲にしても「母を支える」 天皇家長子としての覚悟
コロナ禍の影響もあり、愛子さまの大学生活は3年目も“制限つき”のまま始まった。かけがえのない学生生活が、我慢の時間になることに、愛子さまも残念なお気持ちを抱かれていることだろう。しかしその裏には、母であり皇后である雅子さまをお支えしたいという天皇家の長子としてのご覚悟があった。 令和の時代が始まってから、丸3年が経とうとしている。同時にコロナ禍も3年目に突入した。感染の脅威が去ったわけではないが、少しずつ“日常”が戻ろうとしている。天皇家の長女・愛子さまが通われる学習院大学でも、対面授業が増えているという。しかし、この春に大学3年生になられた愛子さまは、引き続きキャンパスに通わず、オンライン受講をする選択をされた。「皇室全体のことをお考えになられたのでしょう。どれだけ対策をしても、感染リスクがある以上、外出しないに越したことはありません。たいへん勇気ある決断ですが、一方で、人生で一度しかない大学生活が、異常事態のまま過ぎ去ってしまっていることに、失ったものはあまりに大きいと言わざるを得ません」(皇室記者) 昨年、愛子さまは大きな節目を迎えられた。12月1日に20才の誕生日を迎えられた愛子さまは、直後の週末に女性皇族の正装であるローブ・デコルテにティアラをお召しになって成年の行事に臨まれた。今年3月には、30分近くにわたり、初めての成年会見を行われた。「手元の原稿を一切見ることなく、ご自分のお言葉で自然にお話しされていました。雅子さまへの『生んでくれてありがとう』というメッセージには感動を覚えました」(前出・皇室記者) 愛子さまは、皇族としての歩みを着実に進められる一方で、大学生としては、不自由なキャンパスライフを余儀なくされている。天皇陛下は今年の誕生日会見で、次のように愛子さまのことを慮られた。「大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であったように思います(中略)愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになるとよいなとは思います」 失われたのはキャンパスライフだけではない。大学在学中の留学の機会も失われた。今年1月、初めて出席された歌会始の儀で、愛子さまは高校2年時に参加した英イートン校でのサマースクールの思い出を詠まれた。「外国で生活した経験は、愛子さまのなかで色濃く印象に残っているのでしょう。愛子さまは、留学ができないことを残念に思われているのではないでしょうか」(前出・皇室記者) 大学は学ぶ場所、友人と交流を深める場所であるが、生涯の伴侶と出会う可能性がある場所でもある。「女性皇族にとって、“自然”な出会いの場は実質大学生活が最後となるでしょう。お相手選びの選択肢が狭まることは、非常にもったいないと感じます」(宮内庁関係者) それでも、愛子さまには揺るぎない思いがあるという。「愛子さまは、自らの大学生活の犠牲をいとわず、両陛下を支えたいという意思をお持ちです。成年会見でも繰り返し口にされていたその情熱は、母である皇后雅子さまのご体調と無関係ではないでしょう」(別の宮内庁関係者) 天皇家には、お仕えする多くの職員がいる。愛子さまと両陛下の親子関係も、すこぶる良好だ。それでも、ひとりっ子の愛子さまにとって、ふと自室に戻られたときに襲ってくるのは、どのようなお気持ちなのだろうか。同年代のお友達と“同じ空間”で同じ時間を共有することができない。そんな「孤独の部屋」でも、愛子さまが考えられているのは、母である雅子さまのことだ。かつての美智子さまと清子さんのよう 4月、雅子さまは立て続けに公務に臨まれた。13日には日本国際賞の授賞式に、18日にはみどりの式典に外出を伴って出席され、23日の太平洋水サミットにはオンライン出席された。いずれも、事前段階では天皇陛下だけが出席の予定になっていた。「事前に出席を公表すると、プレッシャーを感じてしまわれるという理由だそうです。コロナ禍で公務が減り、リズムが崩れたことで体調を整えにくくなっていると聞きます。それでも、雅子さまはご体調を整えられ、短期間に複数の公務を担われることができました。それも、陛下と愛子さまの支えがあってのことです」(前出・皇室記者) 雅子さまの療養生活は、愛子さまが誕生された2年後の2004年に始まった。その後を振り返ると、雅子さまのご体調の波は愛子さまの学校生活とリンクする面もあった。「小学校低学年の頃には、いじめに起因する『不規則登校』があり、雅子さまが愛子さまの登校に付き添われていた時期がありました。中学時代には『激やせ』が世間の心配を集めたこともありました。学校で何が起きているかは、先生方から“又聞き”するしかない。実際の姿が見えないことが、雅子さまにとって不安につながったのかもしれません」(前出・宮内庁関係者) 聡明な愛子さまはそういった雅子さまのお心の内を理解されていたのだろう。「オンライン受講を続けられることは、雅子さまにとって安心材料ではないでしょうか。愛子さまは、雅子さまのご体調を慮って“そばにいる”という選択をされたようにも思えます」(前出・皇室記者) 自由なキャンパスライフは“リスク”と背中合わせだ。小室眞子さんは、未成年の頃に参加したスキー部の合宿の写真が流出した。写真には、酒の瓶や缶が写り込んでいた。また、佳子さまは、校外学習時の肩が露わになったキャミソール姿が、「皇族としてふさわしくない」と騒動になった。 愛子さまは、オンライン受講を続けている限り、そうした事態とは無縁でいらっしゃる。そうして吹き上がる“上昇気流”に乗った雅子さまには、別の期待もふくらむ。いま世界は不安定な状況下にあり、唯一無二の「中立」の立場にある日本の皇室の外交に期待が高まっている。「なかでも、雅子さまの類い稀なる外交力への期待は別格です。愛子さまは、雅子さまが存分にお力を発揮できるよう、できる限りのことをするというお気持ちなのでしょう。かつて天皇の娘として美智子さまを支えた黒田清子さん(紀宮さま)の姿が重なります」(別の皇室記者)愛子天皇の可能性は事実上消滅 近年、国民の間では愛子天皇待望論が盛り上がった。現在の皇室典範では、女性は天皇に即位できないが、それでも、世論調査で女性天皇を容認する割合が8割近くに達したこともある。しかし、そうした機運が高まっている最中に、愛子さまはおこもりの大学生活を続けられてきた。「成年皇族になられた後も、学業に専念するとして、取り立ててご公務は行われていません。昨年は、『愛子天皇』が実現する実質最後の分岐点でした。しかし、愛子さまが影を潜められた結果、愛子天皇待望論がうねりを起こすよりも先に、有識者会議が、悠仁さままでの皇位継承順を“ゆるがせにしてはならない”という最終報告書を提出した。これにより、愛子天皇実現の可能性は事実上、消滅しました」(皇室ジャーナリスト) それでも、愛子さまの将来は不安定だ。もし結婚したら、民間人になられるのか。それとも、皇室に残って公務を続けられるのか──その結論はまだ出ていない。「それでも、愛子さまは両陛下をお支えになることを最優先に考えられています」(前出・宮内庁関係者) 強いご決意には頭が下がる思いだ。コロナ禍が終焉に向かい、愛子さまがのびのびと学生生活を送られる日がやってくることを願ってやまない。※女性セブン2022年5月12・19日号
2022.05.02 07:00
女性セブン

「できれば、早く訂正したい」NHKの特ダネに対して秋篠宮が語ったこと──衝撃のインタビュー録『秋篠宮』【第3回】
眞子内親王(当時)とその婚約相手だった小室圭さんの結婚への歩みは、まさに「国民の一大関心事」だった。その端緒となったのは、2017年6月のNHKの婚約内定報道に他ならない。前天皇の退位をいち早く報じたのも、NHKである。皇室の内部に食い込んだ記者の存在が指摘された。そうした報道に、当の皇族はどう思われていたのか。【全3回の第3回。第1回から読む】 * * * 婚約内定をスクープしたNHKに情報をリークしたのは、秋篠宮だという報道すらあった。秋篠宮と30年来の交流を持ち、『秋篠宮』の著者でもあるジャーナリストの江森敬治氏は、直接、本人にその真偽を尋ねたことがある。 すぐに秋篠宮はこう本音を漏らした。「できれば、早く訂正したいですよ」 理由として秋篠宮は、「あの記者は、私はテレビでしか見たことがありません」と語ったという。 しかし、秋篠宮が実際に「訂正」することはなかった。5月11日出版予定のインタビュー録『秋篠宮』にこんなやり取りがある。〈眞子内親王に関する報道が繰り返されていたある日のこと、私は秋篠宮に報道の是非について尋ねてみた。── 一部の報道に対して、ご意見やご感想を教えてください。「当方の姿勢として、間違った記事が出てもよほどのことがない限り、訂正を求めたり抗議をしたりすることはいたしません。あるパラグラフの中にある不正確な箇所を指摘することは、それ以外は全て正確ということになるからです。週刊誌ではありませんが、最近はSNSでの情報拡散も多々あります。かなりけしからん記述も見られますが、それらまで含めて対応するのは、とてもできることではありません」〉 江森氏は、秋篠宮からある種の諦念すら感じたという。「皇室報道が憶測混じりになる背景には、宮内庁の対外発信が限られているという事情もあります。情報が少ないからこそ、ウワサが横行します。それを週刊誌が嗅ぎつけて報道します」(江森氏) 結婚を巡る一連の報道は、小室圭さんと眞子さんの米ニューヨーク転居によって、一定の収束をみた。しかし、佳子内親王や悠仁親王、愛子内親王ら若き皇族が、そう遠くない将来に直面する問題だろう。【了。第1回から読む】
2022.04.28 11:02
NEWSポストセブン

パスポートさえ持っていない 皇族は自由な恋愛も難しい──衝撃のインタビュー録『秋篠宮』【第2回】
今から30年近く前の秋篠宮の言葉を、ジャーナリスト・江森敬治氏は最近よく思い出す。「学生時代に結婚相手を見つけないと結婚は難しいですよ」──これは紀子妃との馴れ初めについて語った際の発言だった。長女・眞子さんのケースとは、時代が違う。しかし、皇族の結婚を巡っては、ますますハードルが高くなっている状況があるという。江森氏が長年にわたって聞いてきた、秋篠宮の肉声を紹介する。【全3回の第2回。第1回から読む】 * * *「外出すれば、皇族の動静は常にマスコミなどから注視されます。どこに行くにも警備担当者が付く。彼らの行動は、一般人と比べ、かなり制約されたものでしょう。普通に恋愛を楽しむことは、なかなか困難です」(江森氏) 江森氏による秋篠宮本人へのインタビュー録『秋篠宮』(5月11日出版予定)でも、長女の結婚問題に紙幅が多く割かれている。だが、それはスキャンダルとは違った切り口である。〈長女について述べるならどうしても触れておかなければならないことがある。結婚して民間人となった彼女には、離婚しても戻る家はないということだ。 まず秋篠宮を名乗れない。姓はどうするのか。一般国民と同じく、「上手くいかなかったら離婚すればいい」という考えは通用しない。結婚の、いや離婚の「自由」すら彼女にないことを、私たちは一度冷静になって考えなければならない〉 眞子さんが頑なに結婚へと進んでいった背景に、皇族の自由や人権を巡る問題があると、同書は指摘する。 江森氏はあるとき、秋篠宮にこう聞いたという。──殿下は、パスポートはお持ちでしょうか? 答えは、こうだった。「外交旅券が、そのつど発行されますね」 それゆえ公的、私的を問わず外国訪問のたびに宮内庁を通じて外務省に申請し、外交旅券を発行してもらわなければいけないという。入国手続きなどがスムーズにいくように、外務省を通じて事前に訪問国に連絡し、調整してもらう必要があるのだ。 もちろん、眞子さんにも結婚前にはパスポートはなかった。小室圭さんは長く米国に留学していた。会いたくてもすぐ米国に行けない。諸手続や経費などの問題に加え、彼女の場合だと、記者発表も考えなくてはいけない。 江森氏は、同書の執筆意図とあわせて、こう語った。「私たちが、当たり前と思っていることが、彼ら彼女たちにとってはそうでない。『天皇とは何か』『皇室とはどういうものなのか』といったテーマを大上段に構えて考えるより、パスポートの有無のような身近な視点から照らしたかったんです」【第3回に続く】
2022.04.28 11:01
NEWSポストセブン

小室圭さんは「パラリーガルのままでもよいですよ」 秋篠宮は5年前に語っていた──衝撃のインタビュー録『秋篠宮』【第1回】
米ニューヨーク州司法試験の壁はやはり高かった──。渡米から5ヶ月、二度目の試験不合格が明らかになった小室圭さんと、眞子さんの周囲がにわかに騒がしくなっている。滞在ビザの問題もあり、試験合格は急務である。7月の3度目受験合格に向け、もはや崖っぷちといっていい。それにしても、二人の前途は、いつしか小室圭さんの司法試験の合否とセットで語られるようになった。穏やかな新婚生活とはかけ離れた現実──父・秋篠宮の胸中はいかばかりであろうか。秋篠宮の意外な肉声を紹介したい。【全3回の第1回】 * * *「パラリーガルのままでもよいですよ」 ジャーナリスト・江森敬治氏はいまから5年前、婚約内定報道の直後となる2017年6月、秋篠宮本人から、直接、この言葉を聞いた。江森氏は、秋篠宮とは30年来の付き合いがある。同氏は公式会見以外では極めて異例となるインタビュー録『秋篠宮』を、5月11日に出版予定だ。 同書は、異例の退位に伴う改元から長女の結婚問題まで、激動の5年間の秋篠宮の胸の内を37回にわたる面談から描いている。改めて秋篠宮を取材し、その実像を描こうと思ったきっかけが、眞子さんの結婚問題だったという。「世間で報じられる秋篠宮像と実際のそれの間にあまりにもギャップがありましたから」と江森氏は言う。 パラリーガルというのは、弁護士の指示、監督のもとに法律事務にたずさわる仕事だ。婚約内定報道直後、小室圭さんが就いていたことで注目された。年収は300万円ほどと言われ、パラリーガルが定職ではない、もしくは眞子さんとは不釣り合いと指摘する論調まであった。 しかし、秋篠宮は、パラリーガルという職について確認しようとする江森氏を不思議そうに見ながら、さらっと答えた。「いまのお仕事が定職ですよ」 そして、パラリーガルのままでもよいと続けるのである。 江森氏からみて、秋篠宮は相手の男性の職業について、こだわりがないように見えたという。当初はニューヨークに二人で移住し、新たな生活を築こうという計画も江森氏は秋篠宮から聞いていなかった。「年収や生活面についても、秋篠宮殿下は柔軟にお考えになっていた。例えば東京都心は家賃が高いので近県に賃貸マンションを探して住むといった具合に、とにかく工夫しながらやっていけばよいのではないか、と」 実際、江森氏は秋篠宮から、こんな言葉も聞いた。「二人が身の丈にあった生活をすればよいのではないでしょうか」 いつしか小室さんがニューヨーク州で弁護士になるか否かが一人歩きし、それが結婚生活の基盤を固める必須条件であるかのように印象付いていった。皇室報道は過熱の一途を辿り、二人を追い詰めていく。【第2回に続く】
2022.04.28 11:00
NEWSポストセブン

皇后としての重責を知る美智子さま「雅子さまを守り通す」というお気持ち
美智子さまから雅子さまに“皇后のバトン”が託されてから、3年が経とうとしている。その間、ご自身なりの「令和の皇后像」を模索されてきた。快復の途上にあられる雅子さまに負の影響が及びそうなとき、防波堤になることができるのは、ほかでもない美智子さまだ。「上皇陛下への礼を失する、誠に遺憾なこと」 4月14日の定例記者会見の場で、宮内庁の西村泰彦長官が、語気を強めてある報道を否定する場面があった。「背景にあるのは、上皇后美智子さまの、皇室の将来に対する憂慮のお気持ちです。報道内容が上皇陛下、そして皇后雅子さまにまつわる内容だったので、そのお気持ちはより強いものだったことでしょう」(宮内庁関係者) 4月12日、上皇ご夫妻が、約2年間仮住まいをされた仙洞仮御所(東京・港区)を後にし、神奈川県の葉山御用邸に向かわれた。その日の天気は晴れ。近隣の住民や保育園児らの見送りを受けたご夫妻は、いまにも止まりそうなまでにスピードを落とした車の窓から、笑顔で何度も何度も手を振られた。仙洞仮御所での日々は、コロナ禍と重なった。「ご夫妻は徹底した“おこもり生活”を送られました。接するのはごくわずかな宮内庁職員のみで、娘の黒田清子さん(紀宮さま)とも滅多にお会いにならなかったそうです。また、仙洞仮御所は敷地が狭いため、日課の散歩は、かなり窮屈に感じられていたはずです」(皇室記者) 葉山御用邸の滞在は2週間ほどの予定だ。「御用邸に到着したその日の夕方には御用邸裏にある海に面した『小磯の鼻』に散策に出かけられ、夕日が輝く“ダイヤモンド富士”をご覧になられたほか、集まった近隣住民と、久しぶりの触れ合いを楽しまれました」(前出・皇室記者) 御用邸滞在中に引っ越し作業が進められ、4月下旬には赤坂御用地(港区)内の旧赤坂御所へと移られる。「旧赤坂御所には、皇太子時代のお子さま方との思い出が詰まっています。赤坂御用地は存分な広さがあり、豊かな自然も広がっている。ご夫妻は、引っ越しを指折り待たれているのではないでしょうか」(前出・皇室記者)過去の“不穏な空気”が蒸し返される そんなタイミングで持ち上がったのが、冒頭の騒動だった。俎上に載せられたのは、4月8日発売の『文藝春秋5月特別号』の記事だ。「2003年に国賓として来日したメキシコ大統領夫妻に対し、上皇陛下(当時の天皇)が雅子さまだけを大統領夫妻に紹介されなかった、という内容でした。2014年にも同様の内容が『週刊文春』で報じられ、宮内庁が事実無根だと抗議した経緯があります。今回も西村長官は“到底起こりえない”と強く否定しました」(前出・宮内庁関係者) 長官の遺憾表明は、宮内庁担当記者からの質問に答えるものだったという。それでも、20年近く前のことながら過敏に反応したのは、その前日に、雅子さまが久しぶりの外出公務にお出ましになったことと無関係ではないだろう。 4月13日、雅子さまは天皇陛下とご一緒に、帝国ホテル(東京・千代田区)へと足を運ばれた。日本国際賞の授賞式で、ロイヤルブルーのスーツ姿の雅子さまは、受賞者に対して壇上から拍手を送られた。「雅子さまにとっては、約8か月ぶりの外出公務でした。コロナ禍以降、公務が減ってしまったことでペースがつかみにくく、ご体調を整えるのに苦慮されたこともあったそうです。実際、昨年の愛子さまの成年行事の初日や、今年の講書始の儀は欠席されました」(別の皇室記者) その5日後の18日にも、パレスホテル東京(東京・千代田区)で開かれた「みどりの式典」に、若草色のスーツをお召しになって出席された。「短い日付間隔での公務にもお出ましになれるよう、ご体調を整えられたのでしょう。雅子さまの公務に対する前向きな姿勢が伝わってきます。そんなタイミングで、事実かどうかは別として、過去の“不穏な空気”が蒸し返されること自体、雅子さまにとっていい影響があるとは思えません。 加えて、眞子さんの結婚や悠仁さまの高校進学にまつわる経緯、文学賞の佳作を受賞した作文の“コピペ問題”に端を発した秋篠宮家への逆風が強くなっているいま、皇室にとって数少ない希望の1つが雅子さまであることを、美智子さまは重々おわかりになっている」(前出・別の皇室記者)それとなく雅子さまのご様子をお尋ねになった 皇室報道を巡っては、これまでにも宮内庁がさまざまな形で態度を示してきた。「その背景には、天皇や皇族方の意図が色濃く反映されていることは言うまでもありません。特に美智子さまは、皇族おひとりの苦しみを、皇室全体の苦しみと捉え、寄り添おうとされてきました」(皇室ジャーナリスト) かつて上皇ご夫妻と両陛下の間には埋めがたい断絶があったといわれていた。「結婚当初、帰国子女でキャリアウーマンだった雅子さまが、皇室の神事や伝統的な習わしをうまく受け入れることができなかったことが遠因にあるといわれています。その後、愛子さまが誕生されるも、雅子さまが2003年の末に帯状疱疹で入院され、長い療養生活に入られました。当時、上皇ご夫妻と両陛下が連絡を取り合われることもほとんどなかったといいます」(前出・皇室ジャーナリスト) だが、職員を通して、美智子さまがそれとなく雅子さまのご様子をお尋ねになることは頻繁にあったという。 歴史上、民間出身で「日本の皇太子妃」という重圧に晒されたことがあるのは、美智子さまと雅子さまのたったおふたりしかいらっしゃらない。同様に「皇后」というお立場の難しさを身をもって経験したことがあるのも、美智子さまと雅子さましかいない。「美智子さまも、皇室入りした直後はさまざまな困難に直面されました。初の“民間出身の皇太子妃”であったばかりに、宮中には美智子さまを快く思わない人たちも少なくなく、精神的な疲労から体重が大幅に落ちてしまわれた」(前出・皇室記者) 1993年には、苛烈な皇室バッシングに晒され、一時的に声が出なくなる「失声症」の症状が出たこともあった。「天皇陛下を最も近くで支えることの責任の重さ、皇室全体への目配りの難しさなど、すべて美智子さまは経験されてきました。だからこそ、先達として“雅子さまを守り通す”というお気持ちをお持ちなのでしょう。そのためには、“お怒りの沸点”を低くしてでも、雅子さまの耳に入る雑音を取り除かれたかった。今回、西村長官が報道に改めて示した強い態度は、そうした美智子さまの姿勢が反映されたものだったのでしょう」(前出・皇室記者) 雅子さまが、ご自分らしさを発揮されながら、活躍できるように──美智子さまのお気持ちは、変わることはない。※女性セブン2022年5月5日号
2022.04.21 19:00
女性セブン

上皇ご夫妻 葉山御用邸で人生初めての「ダイヤモンド富士」
4月12日、上皇ご夫妻は「御代がわり」に伴う引っ越しのため、東京・港区の仙洞仮御所をあとにされた。4月下旬まで葉山御用邸(神奈川県)に滞在され、その間に、赤坂御用地にある旧赤坂御所への引っ越し作業が進められる。 2年余りの仮住まいは、コロナ禍で外出が制限され、ご夫妻は毎日朝と夕の2回、仮御所の庭を散策するだけの「おこもり生活」。木々が生い茂る仮御所の庭から、周囲のマンションのベランダに立つ住民とお手振りをされるなど、制限のある“国民との触れあい”が続いていた。 仮御所を出発される際、ご夫妻は身を乗り出すようにして、近隣住民や居合わせた保育園児らに「ありがとう。お元気で」と穏やかな表情で挨拶をされていた。 葉山御用邸に到着されると、御用邸前の「小磯の鼻」と呼ばれる小さな岬に立たれ、相模湾に浮かぶ富士山頂上に夕日が重なる美しい光景を眺められた。 上皇さま「ダイヤモンド富士は初めて見たね」 美智子さま「はい、本当に美しい景色ですね」 上皇さまは美智子さまのか細く華奢な手を優しく握られ、美智子さまは上皇さまの肩に頬を寄せられていた。 ご高齢になられても上皇さまと美智子さまの変わらないお姿を眺めつつ、ダイヤモンド富士の雄大な美しさは、ご夫妻のためにある瞬間だった。悠仁さまを和船に 上皇ご夫妻の葉山御用邸滞在は、2年ぶりのことだ。前回は皇居から仙洞仮御所への引っ越し作業時、葉山御用邸と那須御用邸(栃木県)の2か所に滞在された。 葉山御用邸へ到着する際、沿道にはご夫妻の姿を一目見ようとマスクをつけた地元住民たちが、隣同士の距離を保ち、横一列に並んで集まっていた。「上皇さまと美智子さまが葉山御用邸で静養されると知り、早くお会いしたくて3時間前から待っています」(隣町に住む女性) 正午過ぎ、白バイの先導で、ご夫妻を乗せたお車が到着した。歩くほどのスピードで、住民たちの前を通過する。コロナ禍で声掛けができないため、住民たちは手を振り笑顔でご夫妻を出迎えた。 それに対して、車の中では上皇さまが身を乗り出して手を振られ、花束を抱えられた美智子さまも、マスクはされているものの、柔らかな表情が窺えた。 御用邸とは、天皇陛下、上皇陛下、皇族方の一部が利用される“別荘”と言っていい。コロナ禍以前は年に数回、ご静養を兼ねて避暑や避寒のために訪れられた。 現在、御用邸は葉山、那須、そして須崎(静岡県)の3か所だ。 今回、ご夫妻が滞在される葉山御用邸は、相模湾に面した神奈川県三浦郡葉山町にある。幼少時代の大正天皇が、保養地とした場所でもある。また、かつて存在した葉山御用邸の附属邸で、大正天皇は崩御した。附属邸はその後取り壊され、跡地には「葉山しおさい公園」ができた。御用邸滞在中、天皇や皇族方は、公園にある四季折々の植物や花を散策しながら楽しまれることもある。 2008年、当時天皇皇后だった上皇ご夫妻が葉山御用邸に滞在された際は、秋篠宮ご一家もご一緒だった。 上皇さまと職員や漁師たちは、御用邸近くの艇庫から櫓が2つある「二挺艪(にちょうろ)」と呼ばれる和船を出された。 上皇さまと美智子さま、紀子さま、悠仁さまは黄色い救命胴衣を身につけると和船に乗りこまれた。上皇さま自らが櫓を握り、漕がれる。海面がキラキラと光る中、上皇さまは手慣れたご様子で漕ぐ和船はスイスイと沖へ向かっていく。時折、美智子さまも上皇さまから櫓の漕ぎ方を教わり、楽しそうにしている姿も見られた。 宮内庁関係者によると、上皇さまは、栃木県の奥日光に疎開中の小学校時代から和船に親しまれていたという。 同年10月30日のお誕生日に際しての文書回答で、美智子さまは悠仁さまらと和船に乗られた時のお気持ちを綴られていた。「(悠仁が)御用邸にもどって後、高揚した様子でいつにも増して活々と動いたり、声を出したりしており、その様子が可愛かったことを思いだします。」 また、天皇ご一家(当時は皇太子ご一家)と過ごされたこともあった。 まだ幼い愛子さまがよちよち歩きで波打ち際まで近づくと、ハッと気づかれた美智子さまが「愛子ちゃん、洋服が濡れちゃいますよ」と砂浜を駆け出され、愛子さまをぎゅっと力強く抱きしめられていた。美智子さま「ご出産はいつ?」 たくさんの思い出がつまった葉山御用邸に、上皇ご夫妻が到着した後、近隣住民の多くは「小磯の鼻」へと移動した。 普段であれば「小磯の鼻」を散策されることもあったが、コロナ禍ということもあり、付近にいた警察官も「密を避けるためにもご散策はないでしょう」と話していた。 ところが夕方5時30分過ぎ、小磯の鼻に面した御用邸の小さな扉が開き、ご夫妻が姿をお見せになった。茶系のブルゾン姿でシックな装いの上皇さまに対し、美智子さまは薄手のグレーのハーフコートを羽織られていた。 上皇さまは美智子さまの手をしっかりと握られ、会話されながら芝生の上を歩かれる。大型犬がちょこんと座っているのを見つけられると、美智子さまは身をかがめ、犬の顔をやさしく撫でられていた。 職員に先導される上皇さまと美智子さまが向かわれたのは、小磯の鼻の先端だった。相模湾の海景、江ノ島の彼方に富士山の姿があった。そこに、間もなく沈もうとする太陽が重なった。「ダイヤモンド富士」だ。 上皇さま「ダイヤモンド富士は初めて見たね。いまままでこんなことはなかったからね。実に素晴らしいね」 美智子さま「はい、私も初めて見ました。本当に美しい景色ですね」 ご夫妻は夕陽が沈むまでその場を離れることはなかった。その後、小磯の鼻の先端から御用邸にお戻りになる際には、短い時間ながら、地元住民との会話も楽しまれた。 子連れの母親が身重の体であるのを気づかれた美智子さまは「ご出産はいつ?」と尋ねられた。「1週間後です」という返答に美智子さまは「まあ、もうすぐね。どうぞお身体大切にね、ありがとう」と声をかけられた。 散策はおよそ1時間におよび、あたりはすでに薄暗い。職員がライトで足下を照らす中、ご夫妻は御用邸へと入られた。 上皇ご夫妻の葉山御用邸滞在は2週間の予定だ。戻られるのは、皇太子同妃時代にお住まいになっていた赤御用地内の旧赤坂御所。名称は「仙洞御所」となる。 4月10日が、63回目の結婚記念日だった上皇ご夫妻。結婚60年の「ダイヤモンド婚式」をすでに迎えられた上皇ご夫妻は、“新居”での生活を楽しみにされていることだろう。取材・文/皇室記者 祓川学
2022.04.19 07:00
NEWSポストセブン

気がつけばご立派に…悠仁さまが高校入学 ご成長ぶりを振り返る
「えっと、これスーツなんですけれども……」。唐突な質問に照れ笑いを浮かべながら、そうお答えになった悠仁さま。“素”のお姿が垣間見えた瞬間だった。 秋篠宮家のご長男・悠仁さまが4月9日、筑波大学附属高校に入学された。入学式に先立ち、初めておひとりで取材に対応された。そのお顔に緊張の色は浮かぶものの、立ち居振る舞いは堂々としたもの。終始落ち着いたままで終わるかと思いきや……。「新しい制服はいかがですか?」 記者から質問が飛ぶと、はにかみながら冒頭のご回答。同校は私服通学のため、お召しになっていたのは制服ではなくスーツ。だが、そんなハプニングにも、とっさの対応力を見せられたのだった。●2007年9月 1才のお誕生日 1才のお誕生日を迎えられた悠仁さま。お名前に込められた「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくように」という願いのとおり、のびのびと成長されていった。●2008年9月 2才のお誕生日 ご両親である秋篠宮ご夫妻や年の離れたお姉さんである眞子さんや佳子さまからの愛情を一身に受けた悠仁さま。ご家族からは「ゆうゆう」の愛称で呼ばれていたとか。●2009年3月 御料牧場にて 御料牧場に滞在され、馬に餌を与える悠仁さま。生き物に関する興味関心が高いのは、このときから!?●2011年11月 着袴の儀 5才を迎え、皇室のお子さまの健やかな成長を願う儀式「着袴・深曾木の儀」に臨まれた。伝統の袴を身に着ける「着袴の儀」の写真が公開された。●2015年5月 小学3年生での運動会 学校行事でも積極的な姿勢を見せられた悠仁さま。2本の縄を使ったダブルダッチにも出場された。●2017年8月 小学5年生での林間学校 5年生時に参加された林間学校では、長野県・車山高原へ。登山の休憩中には友達と笑顔を見せられ、仲睦まじい様子が伝わってくる。●2019年8月 ブータン旅行にて 中学1年生の夏には、初の外国訪問としてブータンに秋篠宮ご夫妻と一緒に私的旅行へ。伝統競技の弓矢にも挑戦、10メートルほど矢を飛ばし拍手を浴びた。●2019年8月 ブータンにてハイキング 幼かった悠仁さまも、シャツの似合うたくましい青年に。ブータン旅行中に撮られたご家族写真では、秋篠宮さまとの“ペアルック”も披露された。撮影/雑誌協会代表取材 写真/宮内庁提供、時事通信社※女性セブン2022年4月28日号
2022.04.15 07:00
女性セブン
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【全文公開】キャバ嬢に「脱げ!脱げ!脱げ!」 安倍氏国葬責任者、森昌文・首相補佐官が過去に参加した「大仁田厚主催の乱倫パーティ」
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特番『ダウンタウンvsZ世代』高視聴率に業界が注目するワケ テレビ離れ阻止のヒントも
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パパ活飲酒の吉川赳議員、18歳女子大生が明かした「インターン」での口説きテク
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小室圭さん、3回目不合格なら日本の法律事務所復帰も 帰国を望まない眞子さんとのすれ違い
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【先出し全文公開】あびる優、極秘出産の内幕 前夫の才賀紀左衛門には知らせず「独身フリー、やっぱり楽だよ」
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東大生の旧統一教会2世信者が語っていた「検討した結果、家庭連合は間違っていないと確信」
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「週刊ポスト」本日発売! 「安倍国葬」の責任者が乱交パーティほか
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