父、祖父を亡くしたことにより、終戦直後に14才で第24代当主となる。皇籍離脱が決まったのは、伏見氏が15才のときだ。
「以来75年、民間人として暮らしてきたわけですが、旧皇族と皇族の交流会である『菊栄親睦会』の幹事を務めたり、宮中祭祀や行事への参加を通して、上皇ご夫妻と長らく交流を続けてきました」(前出・皇室ジャーナリスト)
皇籍離脱から75年を経て浮上した「旧皇族の男系男子の皇籍復帰」という案。伏見氏は、旧皇族の宗家の「現当主」という立場で、同書で本音を明かしていた。
《天皇陛下に復帰しろと言われ、国から復帰してくれと言われれば、これはもう従わなきゃいけないという気持ちはあります》
その姿勢は、伏見氏に限ったものではないようだ。
「旧皇族の方々の中には、“天皇陛下をお支えする”という意識を非常に強く持っている人もいる。伏見氏と同じように、望まれれば皇籍復帰を前向きに考える人もいるでしょう」(皇室関係者)
賀陽家側もまんざらでもない様子
宮内庁関係者が話す。
「愛子さまのご結婚相手の本命と目されているのは、旧賀陽宮家のご子息です。皇籍離脱時、旧賀陽宮家の当時の当主・恒憲王の皇位継承順位は、ほかの旧宮家の男系男子と比べ上位に位置していました。現在、賀陽家はその恒憲王の三男・章憲氏の長男である正憲氏が継いでいます」
賀陽正憲氏は天皇陛下の学習院初等科時代からのご学友で、かつて黒田清子さんの結婚相手として名が挙がったことがある人物でもある。
「正憲氏は、メーカーや信託銀行への勤務を経て、宮内庁に転職。現在は外務省に出向中だそうです。
賀陽家には、20代半ばで、愛子さまと年齢的には“釣り合う”ご子息がおり、その彼が本命候補だといわれています。お家柄は申し分ありませんし、天皇陛下と正憲氏の交流が深い点もプラスに働く側面がある。もちろん、結婚には当人同士の意思が重要で、“政略結婚”のようなことがあってはなりません。ただ、賀陽家側としては、愛子さまとの結婚に対してまんざらでもない様子だそうです」(前出・皇室関係者