現在は昔からの筆描きスタッフ(高齢者も多い)と、デジタルが使えるスタッフが合同で作っているのだ。かつてはフィルムで作っていたため、やや画面は鮮明ではなかった。これがクリアな画像に慣れている最近の子供には暗く感じられ、古臭いとの印象を持たれるのだという。デジタル加工をすることにより、鮮明な画像を描くことが可能となる。
さらに作品を作るにあたり、現代の時代性にムリには合わせないようにしている。それは前述の「日本古来の文化」を守る必要性を感じるからだ。
「子供は昔の言葉を知りません。だから、最近のテレビでは制作側がどんどん死語を作っていってしまう。『厠』(かわや)という言葉を『トイレ』に変えてくれなんて言われるのですが、これには反対します。『これじゃ時代劇もなくなっていまい、日本の言葉が絶えてしまう』と私は思うのです。
敢えて『厠』と昔の通りに言うことにより、『お母さん、カワヤってなに?』という会話が生まれ、子供は言葉を覚えていくわけです。あとは、どういう商売が昔はあったかなどを知ることができます。今、街中で見ることはなくなりましたが、『日本の昔ばなし』には金魚屋さんとか、豆屋さんも登場します。だからこそ、作中では残していかなくてはいけない。これをしないことは、同時に文化がなくなっていくということも意味します。
『日本の昔ばなし』には『自然を大切に』や『人に優しくするといいことがある』と、いった教訓も含まれています。だからこそ、大人が観ても、子供が観ても良いものを作っているつもりです」
また沼田氏は、同作はクリエーターにとってはやりがいのある作品だと説明する。というのも、通常のアニメは連続ものが多いため、それ一つ一つを「私の作品」と言うことは難しい。だが、『昔ばなし』は1作7分で、毎回のオンエア(3作)で同じ作家による作品は登場しない。故に「これは私の作品です」と大手を振って言え、愛情を注ぎこめるのだ。2013年10月6日の回では漫画家の西原理恵子氏が描いたのでは? とネット上で話題になり、同日に西原氏はツイッターで「私がキャラ描きました!全く代わり映えしないいつものキャラを新キャラと言いはって」と報告。
「これも、昔ばなしだからこそ西原さんは参加してくれたと思います」(沼田氏)
はからずも「龍」が一つの日曜朝のキーワードになったことについて沼田氏に聞いてみると、こう笑って答えた。
「『まんが日本昔ばなし』は1975年の辰年に始まり、24年間やったので、終わったのも辰年です。『ふるさと再生 日本の昔ばなし』の企画が動いたのも2011年の辰年。本当に『ドラゴン対決ですよ!』。ちなみに僕も辰年生まれで、『まんが日本昔ばなし』を作っていたグループタッグという会社の社長も辰年生まれでした。辰に敵うものはないんです! ちなみに弊社のロゴも辰です!」