一方、一部に6000ドルとも報じられた兵士の月給は400~600ドル。税金には必ず〈領収書〉が発行され、貧困層や母子家庭には手当も支給されるという。そんな理想の生活を謳い、ネットを駆使した〈宣伝〉に長けた彼らは約3万5千人の戦闘員を擁し、うち1万5千人以上が外国人だ。本書では彼ら不満を募らせた若者が〈青臭い〉理想に群がる背景を、4章「なぜ、世界中の若者たちを惹きつけるのか?」で分析する。
「戦闘員の多くは職にあぶれたり、精神的居場所を失った若者たちで、フランスで言えば自由・博愛・平等を謳いつつ、自分を受け入れてくれない社会に不満を抱く移民の二世・三世。また、女性や家族ぐるみの参加も少なくなく、子供たちを洗脳し、未来を担う人材を育てようとする、長期的展望も明白に感じます。
とはいえ、イスラム国が地域住民を支配できているのは公開処刑や略奪による〈恐怖〉の行使に他ならず、特に上層部は〈軍人・バアス党員・イスラム主義者のハイブリッド〉と言われる。同じスンニ派でも世俗主義のバアス党員と、コーランが生まれた7世紀イスラム社会の再現を目指す〈サラフィー・ジハード主義〉の原理主義者が混在する似非国家が、崩壊する日はそう遠くないと見ています」
昨今は米国中心の有志連合軍による空爆が功を奏し、クルド人勢力による支配地域の奪還も伝えられるなど、イスラム国は次第に追い込まれつつある。が、仮に掃討が完了しても、西欧列強がオスマン帝国を分割し、国境を勝手に決めた1916年〈サイクス・ピコ協定〉に対する怨嗟は根深く、〈正統カリフ時代〉への郷愁を謳うイスラム国の精神は、形を変えて生き残るだろうと国枝氏は危惧する。
さらにアラブ世界の政治的重心が、〈イスラエルではなく「イラン」〉周辺に移る中、サウジ、カタールの思惑やトルコ・エルドアン政権の果てしない〈野望〉にも本書は鋭く斬り込む。そして最後に残る難題が、信念、心の問題と氏は言う。
「イスラム教本来の教えや中東で私が見た教徒の姿は、異教徒の私が心打たれるほど慈悲深いものでした。その同じ神を信じる者同士が殺し合い、イスラム国の思想がこうも民衆の不満に呼応してしまう以上、人種や宗教による差別や偏見、格差や怨嗟の連鎖をなくさない限り、世界各地に拡散したアメーバが事あるごとに発現・増殖を繰り返すだけ」
人質殺害ばかりに捕らわれると問題の本質を見失いがちだが、イスラム国のその成り立ちを知れば知るほど摘出すべき病巣は次元を異にして、なおかつ複雑に絡まり合っているようだ。
【著者プロフィール】国枝昌樹(くにえだ・まさき):1946年6月神奈川県生まれ。一橋大学経済学部卒。1970年外務省入省。1978年在エジプト大使館一等書記官に着任後、イラク、ヨルダン、カメルーン等で参事官や大使を歴任。1991年ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部公使。2006年より在シリア特命全権大使を務め、2010年退官。著書は他に『湾岸危機──外交官の現場報告』『地方分権ひとつの形』。スイス人の妻とは研修先のパリで出会い、「3人の子供たちも含めて家では日本語です」。162cm、65kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年2月20日号