他にも、こんな言葉を残している。
《忙しく働いていると「売れて印税があるのに、なんで?」とか言われるんですが(笑)、もともとが商売人の息子ですから、働いていないと落ち着かないんですよ。それと自分が関わったことでちょっと世の中が動いたりするのが好き》
取材はつんく♂さんの事務所で行った。たしか、生まれたばかりのお子さんの写真が大きく壁に張り出されていた。机の上に飾るので無く誰もが見える壁に貼るところに、つんく♂さんの弾けるような喜び、子煩悩ぶりが垣間見えて面白かったのを覚えている。
声帯摘出後に寄せられた応援メッセージに対してつんく♂さんは「ありがとう」と題するブログで、
《ここから、また、新しい「つんく♂」として精いっぱい頑張っていく》
と宣言している。
彼はいま2度目の分水嶺にいる。
最初の分水嶺はこのインタビューにあるように、初めて東京に来て瀬戸際になったときだ。そのころの彼は狭いワンルームマンションで住むひとりの若者でしかなかった。自分をさらけ出すことによって、「シングル・ベッド」という名曲を生み出すことができた。
今の彼の周りには多くの友人がいる。大切な家族がいる。あの艶のある声を再び聞くことが出来無いのは残念だけれど、彼が書いた詞を歌いたいという歌手は日本中に山のようにいる。
我々はいま、あの「シングル・ベッド」のような名曲が生まれる前、偉大な才能が現れる前にいるのかもしれない。私はこれからのつんく♂さんに、またワクワクする。