シリーズ興行に参加する外国人レスラーの羽田空港での来日記者会見の模様を伝えるスポーツ新聞の見出しは、“羽田に5人の殺し屋上陸!”“馬場殺す!”といった劇画タッチのもので、当時のプロレスのオーディエンスは、少年ファンだけでなく、大人のファンも、こういうテイストの記事に心を躍らせた。
馬場と猪木の“BI砲”の代名詞となったインターナショナル・タッグ王座は、力道山の遺産であるインターナショナル王座のタッグ版として昭和41年にアメリカから“輸入”されたタイトルで、当初はフリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシスから同王座を奪取した馬場&吉村(道明)が保持していたが、先述のワット&タイラーをワンクッションにして馬場&猪木にバトンタッチされた。
馬場はインター王座、インター・タッグ王座の2本のチャンピオンベルトを保持する2冠王で、猪木も馬場とのコンビでインター・タッグ王座、吉村とのコンビでアジアタッグ王座(5月26日、札幌でW・V・エリック&アイク・アーキンスを下し王座獲得)を保持するタッグの2冠王。
日本のプロレス界の絶対的エースは馬場で、その馬場を追いかける新顔の“ナンバー2”が猪木。この微妙なレイアウトが約5年間、つづいていくのだった――。
■斎藤文彦(さいとう ふみひこ)/1962年東京都生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修了。コラムニスト、プロレス・ライター。専修大学などで非常勤講師を務める。『みんなのプロレス』『ボーイズはボーイズ――とっておきのプロレスリング・コラム』など著作多数。
※週刊ポスト2015年9月4日号