実際、山健組事務所の前に加藤総長は現われた。山健組の井上邦雄組長とのツーショットだ。離脱派の組長たちは山口組の処分者であり、暴力団の世界には、処分者とは一切の付き合いをしないという黙約があるため、極めて異例のことだ。
直後、全国のヤクザ組織に神戸山口組発足の書状が届けられた。離脱派の公式な第一声だ。
「我ら有志一同の者 仁侠道の本分に回帰致し 歴代山口組親分の意を遵守する為 六代目山口組を離脱致し 新たなる『神戸山口組』を発足し歴代親分の訓育と魂魄を忘失する事なく 心機一転肝刻致し新しい神戸山口組に身命を賭す覚悟であります」
山口組の名跡と代紋(山菱)を手放さなかったのは、強力な求心力を自覚しているからだろう。山口組の直参組織には、代紋や組旗、額装された山口組綱領(彼らの憲法的文章)などが配られているが、脱退後、それらは返却されていない。サラリーマンでいえば、無断欠勤のあと、社員証を持ったまま退職した形で、もしかするとそのまま使うつもりかもしれない。
書状には離脱派の大義もあって、「三代目親分(三代目山口組・田岡一雄組長)の意を冒涜する行為多々あり」と書かれていた。ただ、なにが冒涜に当たるのか、具体的な記述は一切ない。公的な書状で個人攻撃をすれば、ヤクザ社会の理解が得られないという判断だろう。おそらく詳細なエピソードを出すタイミングは考えているはずだ。
情報戦は現代ヤクザの生き残りを懸けた主戦場である。
※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号