紀里谷:番組の内容を全部信用されても困ってしまうのですが(笑い)、日本映画は大好きなんです。子供の頃から松田優作さんが大好きだったので『蘇る金狼』『野獣死すべし』やアニメなどをよく見ていました。黒澤明監督作品や鈴木清順監督の大ファンですし。ところが、カメラマンとしてPVなどを撮っていた頃、「何か映画を撮ろうよ」といっても「それは無理だよ」と端から取り合ってくれない。そんな日本映画界の風潮が嫌で仕方がなかったんです。「やってみないとわからないじゃん!」という気持ちがすごくありました。
――それで相手にされなかったわけですか。
紀里谷:もうひとつイヤだなと思っていたことがありました。傍から見ていて、「映画業界としてはこうですよ」という人たちがすごく多かったんです。「そんなこと誰が決めたの?」という反発がすごくありました。ぼくはカメラマンだった時、当時最先端だったデジタルカメラを使っていました。「そんなの写真じゃない」という人がいっぱいいたわけですが、今やみんなデジタルじゃないですか。時代は変わっていくものです。映画ももう2、30年したら日本映画という概念もないと思うんですよね。すべてが「映画」という概念で、いろんな国の役者やスタッフと一緒に作り、たまたま原語が日本語や中国語、韓国語、ドイツ語かもしれないというだけの話じゃないですか。そんなことを言っていただけのつもりなんですけどね。
――そんな紀里谷さんの転機とは?
紀里谷:ニューヨークでスタートしたカメラマン時代に遡ります。新人ですから、もっと売れるものをどうつくればいいのかって考えますよね。そうすると、今売れているものや今流行っているものを追いかけようとする。自分も同じことをすれば売れるかなって。そういう時に、たまたま日本の雑誌からお仕事をいただいたんです。ぶち抜き15ページくらいのファッションページ。それは今、ぼくが『ラスト・ナイツ』を撮っているくらい、うれしいことでした。
編集者に「どういう写真を撮りましょうか」って聞くと、「あなたが好きな写真を撮ればいい」と言われました。それでぼくは、「でも、好きなことばっかりやっていたって食えないじゃないですか」と言ってしまったんです。するとその方は言いました。「あなたね、それで食えないなら飢え死にすればいいのよ。飢え死にしなさいよ」と。目から鱗が落ちました。本当にその通りです。それでダメだったらもう死んでいいやって思えた。ぼくにとっての最大の転機でした。
――自分と真剣に向き合うことが必要なんですね。