橿原神宮は初代の神武天皇を祀る。明治天皇の格別のお気持ちにより京都御所の春興殿(すんこうでん、賢所〈かしこどころ〉)と神嘉殿(しんかでん)という最も神聖な建物を移築して創建。今の規模に発展したのは神武天皇即位2600年にあたる昭和15年の整備拡張による。
最後に勅祭社に加えられたのは天智天皇を祀る近江神宮。終戦の年の昭和20年12月15日、GHQが国家の神社への関与を禁じる「神道指令」を出した当日に勅祭社に定められた。昭和天皇は終戦にあたり、古代の白村江の敗戦(663年)から復興へと導いた天智天皇の事績を回想し、日本再建への決意を秘めておられた。その強い思いが背景にあった。
勅祭社の次は古くから地元の民衆の信仰を集めた一宮で、しかも近代の神社制度でも最上位の社格の官幣大社だった神社だろう。
ちなみに、上記以外の勅祭社には旧武蔵国一宮である氷川神社、靖国神社、正月3が日だけ300万人以上の参拝者が訪れる明治神宮、平安神宮、上賀茂神社の通称で知られる賀茂別雷(かもわけいかづち)神社、下鴨じんじゃと呼ばれる旧山城国一宮の賀茂御祖(かもみおや)神社、そして伊勢神宮に対し太陽の沈みゆく聖地である出雲大社がある。
ただしそうした序列とは別に、神社ごとに独自の大切さがあるのも忘れてはならない。
※SAPIO2016年1月号